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時間と空間が交差した一点

 今日の1ページは守山区の生玉稲荷神社
 読み方は「いくたまいなり」なのだけど、最初に思い込んだ「なまたま」が頭から離れず、どうしても「なまたま」と読んでしまう。PCの変換も「なまたま」からしか変換しないし。
 あまり書くことがなくて軽く終わると思ったら、思いのほか手こずって時間がかかった。
 周辺の古墳やら年代やらがいろいろ気になって、データを頭に詰め込みすぎてパンクしそうだった。
 箇条書きなんてものは文章としては成立してないも同然なのだけど、頭の中を整理するのには役に立つ。
 いずれきちんと把握できたら文章を書き直さないといけない。

 神社を知るには時間と空間を把握する必要がある。時間と空間を自由に行き来して、その両方を支配しなければならないと言ってもいいかもしれない。
 ある時間とある空間が交わった一点において神社は創建される。その一点に迫るためには空間と時間の両方からアプローチする必要がある。
 そして、創建当時の人たちと同じ場所に立ち、同じ景色を見て、意識を同化させなければならない。
 そのとき初めて、神社創建の本質を感覚的に理解することができる。
 完全にその一点と同化することは無理でも、できる限り近づきたいと思う。それはとても難しいことだけれど。
 未来方向から過去を見ていては歴史は見えない。過去にさかのぼり、そこで今を生きている人たちと同じ視点で世界を見ることで過去のある一点が見えてくる。
 どの時代に生きる人間も、過去を受け、不確かな未来へと向かっている。どの時点から見ても決まった未来はない。
 私は神社を研究したいわけではない。神社を建てた人たちの心が知りたいだけだ。必ずしも神社そのものに興味があるわけでもない。神社を通じて過去の人たちと心でつながりたいと願っていると言ってもいいのかもしれない。

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