喜惣治神明社

新田はなくなっても堤防と神社は残った

喜惣治神明社入り口

読み方 きそうじ-しんめい-しゃ
所在地 名古屋市北区楠町喜惣治新田・堤防地 地図
創建年 1717年(江戸時代中期)
社格等  村社・十四等級
祭神

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

弥都波能売神(みづはのめのかみ)

 アクセス

・城北線「比良駅」から徒歩約13分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 同じ北区内にある大我麻神社と喜惣治神明社は姉妹のような神社だ。どちらもこのあたりの新田開発に伴って創建されたもので、開拓に尽力した人の名前が冠されているという共通点がある。
 喜惣治神明社が建てられたのは江戸時代中期の1717年という。
 のちに喜惣治新田と呼ばれることになる新田の開発の乗り出したのは、1693年のことだったという。
 このあたりには何本もの川が流れ、生活用水が流れ込み、沼と湿地ばかりの土地は稲作には適さないものだった。
 それでも堤防を造り、排水工事をして、どうにか新田開発を始めたものの、大雨のたびに水に浸かり、一時は断念せざるを得なかったという。
 最終的に新田開発が成されたのが1717年だった。神社が創建されたのもそのときだったのだろう。
 新田は資金を提供して開発を推し進めた国枝喜惣治から名付けられた。
 その国枝喜惣治が伊勢の神宮からアマテラスを勧請して建てたとも、開拓に当たった林平八が夢のお告げで建てたともいわれる。

  アマテラスと共に本社で弥都波能売神(みづはのめのかみ)が祀られている。大正5年(1916年)に字五番割にあった水神社を移して合祀した。
『日本書紀』の表記、罔象女神の方が馴染み深いかもしれない。
 水の神であるミツハノメを祀ったということは、やはりこのあたりの土地の人にとって水難除けの願いが切実だったのだろうと想像がつく。
 こちらの神社の方が本社よりも古いんじゃないだろうか。
 ミツハノメというと、かつて大我麻のあたりにあって、後に少し東へ移った式内・大井神社の主祭神もそうだ。大井神社と水神社は何か関係があるだろうか。
 ミツハノメは、水の神であり、火を鎮める神であり、豊穣をもたらす神でもある。開発した新田の守り神としてはぴったりだから、もともとこの神を祀ってもよかったくらいだ。

 神社は、大山川、合瀬川と新地蔵川が合流する手前の堤防にある。住所も番地はなく堤防地となっている。
 かつては堤防上に多く神社が建てられていたのだけど、その後、移されたり合祀されたりで近年は残っているものは少ない。
 神社南の堤防の上に、大きな楠があり、御神木とされている。
 その木の根元に小さな祠がある。祀られているのはスサノオのようだけど、江戸期に津島神社から牛頭天王を勧請して祀ったものだろう。
 こうして見てみると、この神社は村人たちの切実な思いで建てられ、守られてきたことが想像される。
 しかし、あれほど苦労して開発した水田はもはや跡形もない。すっかり住宅地になってしまって、地名に痕跡を残すのみだ。
 それでも、こうして町ができたのも、水田開発と共に堤防を築いたからで、彼らの苦労は無駄ではなかったと思いたい。未来のことよりも今を生きることで精一杯だっただろう。
 神社もこうして残り、物語は語り継がれる。せめて地名はこのまま変えずにずっと残していってほしいと思う。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

喜惣治神明社は堤防の上で町と人々を守っている

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