桜神明社

どこかざわついている感じの呉越同舟的な神社

桜神明社鳥居と境内

読み方 さくら-しんめいしゃ
所在地 名古屋市南区呼続4丁目28 地図
創建年 不明
社格等  村社
祭神

天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

伊佐那岐大神(いざなぎのおおかみ)
事解之男命(ことさかのをのみこと)
速玉之男命(はやたまのをのみこと)

アクセス

・名鉄名古屋本線「桜駅」から徒歩約4分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

『愛知縣神社名鑑』に記載がなく、愛知県神社庁のサイトにもないので、詳しいことが分からない。
 鳥居前の説明板等で分かることは、創建年は不明、本殿は古墳の上にあり、大正5年(1916年)に近くにあった熊野三社をここに移して合祀した、ということくらいだ。
 おそらく、明治のはじめに神明社が村社に列格して、無社格だった熊野三社をこちらに移したということだったのだろうけど、熊野三社は平安期に創建されたと伝わる古い神社というから、熊野三社側としてはやや納得がいかなかったかもしれない。
 旧・熊野三社は現在の鯛取通一丁目から桜台町一丁目にかけてにあり、松や杉の大木が鬱蒼と生い茂る境内は五百坪ほどあったという。桜神明社から見て東北約500メートルほどの場所だ。今は広い通りができて、下には地下鉄が通る住宅地になっているから、往事の面影はまったく残っていない。

 このあたりは、鎌倉街道と塩付街道が交差する要衝の地だった。南の星崎や呼続などで精製された塩を信州方面へ運ぶために作られた道が塩付街道だ。鎌倉街道は、古東海道とは別の新しい道で、のちの東海道の元にもなった。
 地形を見ると、桜神明社は笠寺台地のちょうど中央あたりに位置する。近くで弥生時代の集落、見晴台遺跡や桜貝塚などが見つかっていることから、古くから人が暮らしていた土地だったことが分かる。
 桜神明社古墳と名付けられた古墳は、直径が36メートルほどの円墳で、出土品の須恵器などから5世紀末に造られたものと考えられている。
 あるいは、前方後円墳という可能性もあり、いずれにしてもこの地を支配していた首長クラスの人物の墳墓と言えそうだ。
 5世紀末から6世紀初めにかけては、尾張地方でたくさんの大型古墳が造られた時期に当たる。この頃までには尾張氏がこの地方を統一していたと考えられるため、尾張氏一族でなかったとしても、その関係氏族のものである可能性は高い。
 かつては比米塚(ひめづか)と呼ばれていたようで、姫塚の字を当てることもあったらしい。
 地理的にみると、熱田台地上に造られた古墳群とは別系統の一族のものかもしれない。
 墳丘の西と北に周濠の一部が残っており、円墳部分も元の形状をよく保っている。
 いつ誰がこの上に神明社を建てたのかは、やはりよく分からない。江戸期以降の可能性が高いのだろうけど、その意図が読み取れない。

 配祀されている伊佐那岐大神(イザナギ)、事解之男命(コトサカノヲ)、速玉之男命(ハヤタマノヲ)は熊野三社の祭神だったということは分かる。
 ただ、この組み合わせはどうなんだろう。熊野社系の神社では一般的なのだろうか。
 熊野本宮大社では家都御子神(けつみこのかみ)が、熊野速玉大社では熊野速玉男神(くまのはやたまをのかみ)が、熊野那智大社では熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)が、それぞれ主祭神となっている。
 熊野三山の神を熊野三所権現と呼び、それ以外の神をあわせて熊野十二所権現としている。
 熊野三所権現と旧・熊野三社の祭神は一致していない。
『尾張志』にはこうある。
「熊野三所社 山崎村にあり 伊弉諾尊 伊弉冉尊を祭るといふ 本社の東西に脇宮といふ社二社あり 速玉之男神 事解之男神を祭る これを總て熊野三社といふ 境内に末社いなりの社あり」
 死んだイザナミに会うため黄泉の国に出向いたイザナギは、変わり果てた姿のイザナミを見てあわてて逃げたというのが『日本書紀』で語られる物語だ。
 しかし、『日本書紀』の一書(あるふみ)では違っている。
 穏やかに話し合いをして「もう縁を切りましょう」と言ったイザナミに対して、イザナギは「おまえには負けないぞ!」と叫んで唾(つば)を吐いた。その唾から生まれたのが速玉男命(速玉之男命)で、それを掃きはらったときに生まれたのが泉津事解之男(事解之男命)としている。
 旧・熊野三社で祀られていた三柱の神がこの顔ぶれになっている。ただ、イザナミはどこかへいってしまったようで、祭神から漏れている。
 その他に配祀されている祭神として、応神天皇と木花咲耶姫命と倉魂命がいる。稲荷社は旧・熊野三社にあった末社として、八幡社と浅間社がいつ合祀されたのかはよく分からない。
 境内社に秋葉社と津島社がある。

 なんとなくざわざわして落ち着かない印象を受けたのは、すぐ東に線路があって桜駅に近いというだけではないような気がする。
 神明造りの社に、アマテラスと熊野権現と應神天皇とコノハナサクヤヒメとウカノミタマを一緒に押し込めるというのは、どう考えても無理がある。しかも、それが古墳の上に乗っているのだ。大正期からここ百年程度で落ち着くはずもない。
 この先でこの神社が更に縮小されるとか移転されるとなったとき、初めてここの神々は一致団結して自分たちを守ろうという気になるのかもしれない。
 桜神明社という華やかで清浄な感じの名前から想像できないような激しく静かなせめぎ合いが続いている神社という私の妄想は当たっているのか外れているのか。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

桜神明社はどうなんだろう

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