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神社について思うこと

 今日の1ページは大井神社
 神社紹介よりも郡境問題に関する考察がメインになってしまったけど、郡境問題を考えるには格好の神社だったので、ここで書いてしまうことにした。
 郡境は地図で見つけようとしても見えないということは、気づいてしまえば当たり前で単純なことなのだけど、気づかないとああでもないこうでもないとなる。
 郡境のことに限らず、神社も歴史もそうだ。現在から一方方向で過去を見ているだけでは見えるものも見えない。意識と感覚を過去の人と同化させて、そこから過去と未来を見てこそ、過去を生きた人が何を考えていたか少しだけ分かる。過去のどの時点においても、未来はまだ何も決まっていない。彼らと同じ場所に立ってこそ、彼らが何を思い、何を願ったのか、何かを想像できたり、共感できたりするような気がする。

 私が神社について一番興味があって知りたいと思うことは、その神社の創建に関わった人たちの思いだ。それが一番知りたいことで、それさえ知ることができればあとはそれほど重要ではない。だから、本来の祭神にもこだわりたい。
 自然崇拝から神社創建へと移っていく境目に何があったのか。神社という概念はどこから持ち込まれ、あるいはどこでどうやって生まれたのか。
 神社が一番最初に作られたのはどこだったのか。それがどうやって各地に広まっていったのか。
 彼らは神社に祀る神をどういう存在だと考えていたのだろう。何を求め、何を願い、何を託したのか。
 飛鳥時代から律令国家が始まる奈良時代。怨霊が跋扈する平安時代から、武士の世の中になる鎌倉時代。室町時代を経て戦乱の戦国時代へ。庶民の時代の江戸時代。神仏分離の明治、大正、戦争の世紀昭和、そして平成へ。
 神社が経てきた数百年、数千年の歳月を思うと気が遠くなる。よくぞここまで残ったと、誰ともなく褒めたいような気持ちになる。
 日本は神の国だという。それよりも、日本人は神社とともにあったという方がしっくりくる。
 本当は祭神がどうとか、式内かそうじゃないかなんてことはどうでもいいのかもしれない。単純に言って、いい神社と出会いたいということがすべてといえばそうだ。
 このサイトは、名古屋にあるすべての神社についての紹介ページを作成することを最終目標としているのだけど、途中でどういう方向に進むことになるか分からない。まだゴールは遠く、先も見通せていない。
 今後も気持ちが続く限り、あるいは興味が続く限りといった方がいいか、思いつくままつらつら書いていくことになる。完走できればそれに越したことはないし、どこかで力尽きたらそれはそれだ。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • オオタさんのコメントで。

    『神社が経てきた数百年、数千年の歳月を思うと気が遠くなる。よくぞここまで残ったと、誰ともなく褒めたいような気持ちになる。
     日本は神の国だという。それよりも、日本人は神社とともにあったという方がしっくりくる。』

    とても神々の皆々様が、喜んでくださっていると思います。

    神様のお気持ちがわかる方なんですね!

    やはりこれはお役目かも(^^)

    • >RIZEさん

       お役目かぁ。
       私としては誰にも頼まれもしないのに勝手にやってるという感覚なんだけど、もがきながら考え、あがきながら書いていると、少し手助けしてくれるかもしれないと期待する気持ちもあります。
       たいした根拠もないのに勝手なことを書くときは、改めるなら今のうち、私は知らないぞ、とちょっと無責任なことを思ったりもします。(^^;
       どれにしようかな神様の言う通り、みたいなものでしょうか。
       書くかどうしようか迷ったらとりあえず書いてしまって、間違ってたらあとから直せばいいやくらいに考えるようにしてます。

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