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神仏習合の感覚的な非理解

 今日の1ページは南区の富部神社
 緑区に続いて南区も開始した。これでまったく手つかずの区は瑞穂区と中川区だけになった。この2区もそう遠くない時期に始められそうだ。ようやく名古屋神社ガイドとしての体裁が整いつつあるといったところだろうか。

 富部神社は江戸時代に創建された比較的新しい神社だし、重文指定の本殿を紹介するくらいだから簡単だろうと思っていたら、これが意外に手強くて苦戦した。
 松平忠吉がどこで祈願したのかが最初分からなくて、長楽寺の祠が起源というのが分かってやれやれと思ったのがまだ半分だった。ダドクケノカミとは一体どんな神と思われていたのか。江戸期の人々がその神のことをどれくらい知っていて、どの程度の共通認識だったのかが問題だ。

 神社や祭神については我々よりも昔の人たちの方がよく知っていた。それは当然とも言えるし、意外にも思えるのだけど、現代人の我々が抱くイメージと昔の人たちが持っていたイメージとでは、けっこう差があるんじゃないかと思う。神仏習合が当たり前と思っていた時代の人たちと、神仏分離が普通と思っている現代人とでは、神に対する認識が大きく違うのは当然のことだ。そのへんの感覚を共有できないことにもどかしさを感じる。

 今回は牛頭天王について掘り下げなかったけど、いずれどこかの津島神社でそのあたりについても書きたいと思っている。なんとなくは分かっているつもりでも、もう一度しっかり勉強しないと本当のところは理解できないようにも思う。
 仏の世界は神の世界より複雑で難しい。

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