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イメージの源泉は

 今日の1ページは中川区の八幡社(牛立)
 牛頭天王とはどんな神で、人々はどんなふうに認識していたのか。
 疫病除けだけが牛頭天王を祀る理由だったのか、それ以外にもあったのか。
 牛頭天王はスサノオのことという考えを持っていたのはどういう立場の人たちだったのか。
 明治の神仏分離令で牛頭天王をスサノオに変えられた神社の人たちや氏子たちは何を思いどう受け止めたのか。
 牛頭天王の正体というのがよく分からない。日本神話に登場する神なら、ある程度イメージはできる。けど、インドあたりからやって来た神を、当時の日本人たちはどうやってイメージしていたのだろう。
 物語の代わりに一目で分かる仏像がもてはやされたのは理解できる。目に見えない神よりもずっと分かりやすい。神像はどれくらい作られたのか。
 日本神話の神を描いた絵があるけど、あれはどこかに元ネタのようなものがあったのだろうか。
 両脇にちょんまげのようなものを縦に結んでいる髪型は誰が考えたのか。そういう記述が史料に残っているのだろうか。卑弥呼の時代は顔に入れ墨をしていたなんて話もあるけど、本当か。
 神のイメージは時代とともに変化していく。どの時点が正解でどの時点は間違いとは言い切れない。イメージに正解はないのだから。
 そういう意味で言うと、我々は我々なりの牛頭天王像やスサノオ像を思い描きつつ、崇敬していくしかないのだろう。

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