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結局、三輪神社ってどんな神社なんだろう

 今日の1ページは中区の大須三輪神社
 牧長清が創建したという可能性がないわけではないけど、個人的な感触としてはもっと前からあった神社だと思う。
 牧長清と大和の大神神社との接点が見当たらないし、牧長清は富士山信仰の人で、富士山に7度登ると誓いを立てて、3度登って年を取って断念して、富士浅間神社の富士塚に4度登って7度登ったことにしたというエピソードには信憑性がある。
 もし牧長清が創建したとしても、神社由緒の元亀年間(1570-1572年)に奈良県桜井から小林城に移ったということはあり得ない。牧長清は1570年に死去しているし、信長の妹を正室に迎えて父とともに信長の家臣として働いていた。三輪あたりで生まれ育ったなどということは考えられない。
 神社の由緒というのも案外当てにならないものが多くて、ちょっと調べれば分かる年代的な矛盾などをどうしてそのままにしておくのかよく分からない。指摘は当然受けているはずなのに。

 まあ、それはともかくとして、三輪神社の姿勢というのはなかなか面白いと思う。参拝者を楽しませる工夫は、女性の宮司さんによるところが大きいのではないだろうか。
 縁結びの祈願でも、御朱印集めでも、神社に多くの人が足を運ぶことはいいことだと思う。歴史を誇るだけで人があまり訪れない神社では寂しい。
 それにしても、三輪神社というのはもともとどういう神社だったのだろう。そのあたりがまったく見えないことが心に引っかかりを残した。

 アクセスカウンターが壊れて0に戻ってしまった。
 アップデートをしたら前のアクセス数がリセットされて、それきりカウントしない。
 仕方がないので別のカウンターを仮設置したのだけど、これまでのアクセス数はどれくらいだったのか覚えていないし、手動で加える方法も分からない。
 また一から出直しになってしまうのか。

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