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那古野浅間は春日井の河原天神?

 今日の1ページは西区那古野の浅間神社
『尾張志』がいうところの廣井村の河原から1647年に現在地に移したという話をどこまで信じていいのかは分からないのだけど、最初のところがまったく分からない神社だ。
 いつ誰が何の目的でどこに建てたのか。
 名古屋は古い浅間社が何社かあるけど、それらの関係性も見えてこない。浅間社というのは意外と理解が難しい神社のように思える。

 本編には書かなかったのだけど、何の話? という突拍子もない話がある。
『名古屋市史』に、「尾張年中行事絵抄によれば春日井郡河原村(現、新川町)より遷したるものとして、国内神名帳に所謂従三位河原天神と為す。参号本国帳、尾張神名帳集説、参考本国神名帳集説、尾張本国帳神社座地考、尾帳国明治神名帳等によれば、本社は春日井郡小田井荘河原村に在りて星天神又は星宮と称せしを、明冶初年河原神社と改めしよし見えたり」と書かれているというのだ。
 原本に当たっていないので書かなかったというのもあるのだけど、春日井郡の河原村の星宮から勧請したなどという話はぶっ飛びすぎていてまったく訳が分からない。なんで、星宮が浅間になるのか? 『尾張志』がいう廣井村の河原と春日井郡の河原村を混同しただけなのか。
 この場合の遷すというは文字通り遷座させたのか、それとも分霊を勧請したということなのか。
 何の根拠もなくこんなことを書くとは思えないから、なんらかの史料なり情報なりを得た上で書いたのだろうけど、それにしても何の話? と思ってしまう。実際、そんなことがあり得るのか?
 今のところ春日井の神社についてはほとんど調べていないので、その河原天神がどうなったのかは分からない。この問題は市外編に持ち越しとしたい。春日井の神社を調べるときに何か分かることがあるかもしれない。
 やはり、名古屋市神社ガイドといえども名古屋市内だけでは完結しないものだ。

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