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見た目と歴史のギャップ

 今日の1ページは西区幅下の須佐之男社迦具槌社合殿(隅田神社)
 神社は実際に現地に行ってみないと分からないことがたくさんあるのだけど、参拝するだけでは分からないこともたくさんある。
 見た目と歴史のギャップというものもある。
 予備知識なく出向いていって、ここはすごく古い神社だろうなと思ったら明治創建だったり、ここは昭和じゃないのかと思ったら江戸だったり、ときどき予想は大きく外れる。
 この隅田神社もてっきり昭和に建てられた問屋街の神社だと思っていた。古びた問屋街に馴染んでいくうちに古びた感じになってしまったのだろうと。それが江戸時代前中期の創建というのは意外だった。
 かなりマニアックな神社で、個人的には嫌いじゃない。被写体としても魅力的な神社だ。

 名古屋城下とその外の村との境界線がよく分からない。
 熱田台地の縁に掘られた堀川がひとつの目安ではあるのだけど、堀川の流れできっちり分かれているわけではない。
 廣井村なども、堀川が掘られる前までは台地の下と上にまたがっていたようだけど、堀川によって村域が変わってしまった。
 名古屋城と城下町の建設によってこのあたりは激変した。そのせいで、その下に埋もれる格好になった歴史がよく分からなくなってしまった。
 まったくゼロから作ったわけではなく、那古野城があり、それ以前の古い神社もあるから、集落はあったのだろう。
 熱田台地北部の勢力図や歴史もよく分からない部分がある。神社を調べることで、そういった土地の歴史についても理解を深めていかなければならない。土地の歴史を知れば、神社の理解の役に立つ。

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