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どこまで知らなければならないのか

 今日の1ページは守山区川村の社宮司神社
 ミシャクジ信仰にまつわると思われる神社が名古屋市内に何社あるか。独立したものとしては10社程度だろうか。境内社を入れるともう少し増える。
 まったく無視していい存在ではないし、重視すべきかというと微妙だ。とにかく調べても考えても分からないのでさらっと流したい気持ちもあるし、せっかくだからもう少し知りたいという思いもある。さて、どうしたものか。

 根本的な問いとして、私はどこまで知る必要があるのか、というものがある。
 祭祀や神社にまつわるすべてを知らなければいけないわけではない。ただ、ほどほどでいいのかといえば、それでは書ききれないことも出てくる。
『古事記』、『日本書紀』に書かれていることの本当と嘘を見分けて歴史の真実を見出すなんてことをやろうとすると、その中途半端な知識がこのサイト作りの邪魔になる。ヤマトタケルやミヤズヒメなどいなかったなどと言い出すとややこしいことになる。
 無邪気に調べて分かったことだけを書いていられればそれがいいのかもしれないけど、迷いはきっと最後まで消えないだろう。

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