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熱田社関連を理解するためには尾張氏をよく知る必要がある

 今日の1ページは熱田区の日割御子神社(熱田神宮内)。
 日割(ヒサキ)とは何なのか。土地の名称なのか人名なのかそれ以外なのか。漢字は当て字で「ヒサキ」という響きに意味があるのか、そうではないのか。まずそこが分からないとこの神社について理解できないのだけど、そこが分からない。
 孫若御子神社ほどではないけど、日割御子神社もまた、その始まりがよく分からない神社だ。
 どこにあったのか、誰が祀ったのか、いつ始まったのか。
 どこかの時点で尾張氏に取り込まれて熱田社の摂社扱いになったのだろうけど、そのときに祭神の入れ替えはやはりあったのだろう。名前すら変えられた可能性もある。
 火の神を祀るという伝承が残っていることからすると、あるいはニギハヤヒ=物部ということも考えられるのか。
 天忍穂耳尊ではなくて、こちらが天火明命だったということはないのか。

 熱田社の関連社は、上知我麻神社と下知我麻神社まではやろうと思っている。それ以外にも興味を惹かれる境内社がいくつかあるのだけど、ここで引っかかっていると先へ進めなくなるので、いったんそこまでとしたい。後々余裕があれば、一之御前社とか龍神社、御田神社あたりも書きたい。

 ずっと先延ばしにしていた港区の神社めぐりを始めた。緑区がまだ途中になっているけど、港区をやっていくことにする。いよいよ最後の区に取りかかることになる。ちょっと終わりが見えてきた。

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