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もっと簡単な文章にすべきか

 今日の1ページは名東区引山2の天王社・秋葉社
 小さな社や石仏などをたくさん集めても神社にはなれない。
 神社の定義といってもはっきりしたものはないのだろうけど、鳥居と手水があると神社に見えるというのはある。鳥居があれば必ず神社かといえばそうでもないのだけど。
 廃社や合祀してしまうくらいならこういうふうに寄せ集めた方がずっとましだ。これなら形が残る。本社に合祀などといってもそれは実質的な廃社だ。

 今日ふと思った。私が今ここで書いている文章は100年後、200年後の人たちにとって難解なのだろうか、と。
 なるべく分かりやすく平易な文章で書こうと心がけているのだけど、今の私が100年前、200年前の文章を難しく感じるように100年後、200年後の人たちは現代の文章を難しく感じるのではないか。
 江戸時代基準で書かれた文章はたびたび言葉づかいが分からず、内容も理解できないことがある。日本語は今後ますます簡易になっていくだろうし、難しい漢字などは使われなくなっていくはずだ。
 そうなると平成基準の文章は次の次の元号くらいの人たちには解読不能なくらいになってしまう可能性がある。大げさかもしれないけど、そういう部分は必ず出てくると思う。
 そんなことを考えると、もっと平易で分かりやすい文章を心がけるべきかもしれない。平易などという言い回しすら難しい言葉となりかねない。更に漢字も減らした方がいいのか。
 江戸時代の書を書いた人たちに対して、もっと簡単に書けなかったのかよと常日頃思っている私なので、そんなことを考えるのだった。

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