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アマチュアの勝手な推理

 新規追加は今日まで休み。明日から再開予定。

 引き続き区別一覧の地図付け作業をやる。
 天白区守山区昭和区東区をやった。
 がんばればあと一日で終わる。でも、たぶん二日に分ける。

 今日、熱田神宮で熱田神宮文化講座というのを聴きにいってきた。
 内容は、桜井市纒向学研究センター所長の寺沢薫氏による「纒向の大王宮と王権の伸張」というものだった。
 2時間という時間の制約と、一般人向け講義ということで、あまり踏み込んだ内容とはいかなかったのだけど、発掘調査から分かった寺沢氏個人の推理などもあり、全般的に楽しめた。
 講義を聞きながら思ったことや、これまでずっと疑問に思ってきたこととしては、たとえば、ヤマト王権時代の日本の人口と纒向の人口はどれくらいだったか、などといったことがある。
 弥生時代末期に50万人、もしくは60万人くらいだという推測がある。その中で、纒向にどれくらいの人間が集中していたのか。九州にも当然、大きな勢力があり、西日本だけでなく東海や関東、北陸、東北にも勢力はあった。
 箸墓古墳はどれくらいの人数でどれくらいの期間をかけて築いたのかといったあたりも気になるところだ。
 定型の前方後円墳は纒向で誕生したというのが通説になっているけど、短期間の間に九州から関東までの広範囲に何故、あれほどの広がりを見せたのか。
 同時に前方後方墳にはどんな意味があったのか。
 古墳の向きは一定ではなくバラバラだけど、どんな法則があったと考えられているのか。
 集落と古墳の位置関係や距離感はどうだったのか。
 古墳は首長クラスの墓として、一般の人間は集落のどこにどのようにして葬られたのか。
 疑問点や知りたいことはたくさんある。訊ねれば教えてもらえることもあるのだろうけど、そのあたりは自分で勉強して知らないといけないことなのだろう。
 アマチュアが有利な点は考古学や歴史学といった分野にとらわれず、自由な発想で考えることが許されることだ。各分野の専門家の調査、研究結果の美味しいところをいただいて、勝手にあれこれ推理して楽しめる。専門家だけが真実にたどり着けるとは決まっていない。
 このあたりのことについては、神社コラムでもう少し掘り下げて書いてみたいと思っている。

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