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過去・現在・未来

 二周目の直しは名東区の日吉神社(上社)高牟神社(高針)

 2社とも分からないところやちょっと難しいところのある神社で、結論といったものは出ない。あきらめるわけではないけど、いったん保留という形になる。

 当時の人たちがどんな基準で祀る神を選んでいたのかがやっぱりよく分からない。祖神を祀るという感覚はある程度理解できるのだけど、たとえば尾張氏が本当に自分たちの祖神をアメノホアカリとしていたかどうかは現代の我々には判断できないことだ。山の神や水の神を祀るというのも頭では分かっているようなつもりになっているけど、実際の心情というのは計り知れない部分がある。分からないところは想像で補うしかないのだけど、それで分かったようなちもりになるのは危険なことだ。
 私たちは『延喜式』神名帳の恩恵を受けている一方で、それに惑わされてもいる。927年というのは時期としても悩ましいところだし、これ以前にも以後にも作られなかったというのが厳しい。『国内神名帳』はあるものの、直接の比較対象とはしづらい。せめて、鎌倉時代か室町時代あたりの神名帳があれば、もっと分かることはたくさんあっただろうに。
『延喜式』神名帳に載っているのは2861社で、この当時、国内に神社はすでに数万社あったという話もある。それをできる限り記録しておこうと思った人間はいなかったのだろうか。
 過去の人に文句を言っても仕方がないけど、もうちょっと記録しておいてほしかったと愚痴りたくもなる。
 このサイトが将来的にいつまで残るか分からないけど、未来まで残ったら、未来の人は私にもっとちゃんと調べとけよ、と文句を付けるだろう。未来に言い訳しなくていいように、今のうちに調べられるだけのことは調べて書いておかなければいけないと思っている。

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