千年八幡神社

新田開発のとき尾張藩にいただいた八幡社

千年八幡神社

読み方 ちとせ-はちまん-じんじゃ
所在地 名古屋市熱田区千年2-36 地図
創建年 1837年(江戸時代後期)
社格等 村社・十二等級
祭神

誉田別命(ほんだわけのみこと/応神天皇)

アクセス

・地下鉄名港線「東海通駅」から徒歩約20分
・名鉄常滑線「豊田本町駅」から徒歩約27分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 熱田区の南エリアにある神社は、新田開発にまつわるものが多い。
 江戸時代前期まで、宮の渡しより南は海だった。江戸期を通じて新田開発が行われ、干拓によって南へ南へと土地を広げていった歴史がある。
 千年八幡神社もまた、新田開発とともに生まれた神社だった。

 千年八幡神社の千年は、「ちとせ」と読ませる。この地名の由来としてちょっと面白い話が伝わっている。
 江戸時代後期の天保年間(1830年-1844年)、村の名前をあらたに決めることになり、村人たちが集まって相談していた。しかし、いくつも候補が挙がってなかなか決まらず、とうとう朝を迎えてしまった。気分一新するため部屋の空気を入れ換えようと戸を開けると、朝日を浴びる鶴の姿があった。それを見た村人のひとりが叫んだ。
「鶴は千年!」
「そうだ、千年にしよう!」
 ということで千年村に決まったのだと。
 ただ、話としては面白いけど、本当ではないようだ。千年村が誕生したのは明治9年(1876年)のことで、船方新田と作良新田(改称前は熱田築地前新田)が合併して新しく生まれた村の名前が千年村だったというのが実際のところだ。
 それ以前、このあたり一帯は小碓村(おうすむら)と呼ばれていた。ヤマトタケルの元の名、小碓命(おうすのみこと)に由来するという。
 千年八幡神社の愛知県神社庁の登録名は「八幡社」だ。ただ、拝殿の額や境内の由緒書きには千年八幡神社とあるから、その名で通っているのだろう。

  少し話が前後したけど、八幡社は熱田築地前新田と呼ばれた場所にある。
 1837年に開発された新田で、江戸期としては最後に開発された新田ということになる。尾張藩が主導して、藩地方勘定所が担当した。
 1853年に伊藤、関戸、内田の三家に譲渡され、1861年に 作良新田と改称された。
 社伝によると、尾張藩主下屋敷の南庭に鎮座していたものを1837年に熱田築地前新田の守り神とすべく、この地に移したとしている。それは現在地より30メートルほど南だったという。
 明治5年(1872年)に村社に列格し、翌明治6年に現在地に遷座した。

 尾張藩主下屋敷というのがどこのことをいっているのかという肝心の情報がなく、調べがつかなかった。
 尾張藩主の下屋敷というと、2代藩主光友が作らせた江戸の戸山山荘がよく知られている。
 現在の戸山公園(地図)は、光友が作らせた回遊式庭園が元になっている。16万坪という広大な敷地の中に、箱根山に見立てた築山を築き、小田原宿を模した建物を並べるなど、東海道沿いの風景を再現した江戸のテーマパークのようなものだった。
 その箱根山は標高44.6メートルで、現在でも山手線内でもっとも標高が高い山になっている。人造だけど。
 この江戸の戸山荘にあった八幡社を熱田に移したのか、そうではないのか。
 尾張の国元の下屋敷というと、光友が隠居所として建てた大曽根屋敷がある。ただ、そこは光友の死後に家老の成瀬氏などに所有が移っているから違うと思われる(明治になって徳川家に所有が移り、のちに徳川美術館徳川園が作られる)。
 尾張藩はいくつも下屋敷を持っていたから、そのうちのどこかにあった八幡社を熱田に移したということだろうか。
 ちなみに、大名の屋敷には上屋敷(かみやしき)、中屋敷(なかやしき)、下屋敷(しもやしき)があり、参勤交代で江戸に出てきたときに住むのが江戸屋敷上屋敷だ。その土地や屋敷は幕府から与えられた。
 しかし、大きな藩ほどお供の数が多いので、別宅として建てるようになったのが下屋敷であり、中屋敷だった。下屋敷は江戸城から少し離れていて、別荘のようなものといえる。側室の住まいとしての機能もあったとされる。
 中屋敷を持てた藩は限られていて、いうなれば会社の事務所のようなものといえるだろうか。跡継ぎや隠居した人間が暮らしたりもした。
 尾張藩の上屋敷は市ヶ谷にあり、中屋敷は2つ、下屋敷は6つあったという。

 この八幡社こういう経緯で建てられたため、尾張藩に大事にされ、尾張徳川家からいただいたお宝もたくさんあったらしいのだけど、昭和20年の空襲で社殿ともども焼けてしまったそうだ。
 昭和34年の伊勢湾台風でも大きな被害を受けたのは場所柄仕方がなかった。
 現在のコンクリート造の社殿は昭和50年(1975年)に造営された。
 残念ながらかつての尾張徳川家の威光といったものは感じられない神社になってしまってはいるものの、古そうな狛犬や灯籠などにわずかにその面影を見ることができる。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

 

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