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猪子石神社・大石神社

猪子石の地名の由来となった二つの石を祀る

猪子石神社全景

読み方 いのこいし-じんじゃ/おおいし-じんじゃ
所在地 名古屋市名東区香坂 地図
名古屋市名東区山の手1 地図
創建年 不明
旧社格・等級等  
祭神 牡石(猿田彦大神/さるたひこのおおかみ)
牝石(天宇受賣命/あめのうずめのみこと)
アクセス 名鉄バス/市バス「猪子石西原停留所」から徒歩約5分
市バス「宮根停留所」から徒歩約3分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 猪子石村(いのこしむら)の名前の由来となったとされる大石が二つある。
 牡石(おいし)を祀っているのが猪子石神社で、牝石(めいし)を祀っているのが大石神社だ。
 牡石は香流川(かなれがわ)の北、牝石は香流川から少し離れた南の高台にある。
 牡石はサルタヒコ(猿田彦大神)で、牝石はその妻・アメノウズメ(天宇受賣命)を祀るともいう。

 猪子石の名が最初に文献に登場するのは、『足利義詮御判御教書(あしかがよしあきらごはんみきょうしょ)』とされる。室町時代前期の1365年に書かれた文章の中に猪子石郷が出てくる。
 郷や村の名前としてはもっと古くからあったはずだけど、どこまでさかのぼれるかは分からない。少なくとも室町時代には集落ができていたのは間違いなさそうだ。
 猪子石の読み方は、「いのこし」と「いのこいし」が混在していてどちらが正しくてどちらが間違いとも言えない状態になっている。一般的に地元の人間は「いのこし」と言っている。ただ、神社名は「いのこいし-じんじゃ」のようだし、地名なども「いのこいし」としているところが多い。
 津田正生は『尾張国地名考』の中で「いのこし」と表記し、「いのこしはいのこいしの釣るなり」としている。釣るというのは略したものという意味だ。江戸時代にはすでに「いのこし」といっていたようだ。
 一方で、猪子石村とは別に猪之越原村(いのこしはらむら)があり、猪子石も猪之越から転じたのではないかとする説もある。その場合は最初から「いのこし」だったということになるだろうか。

 猪子石神社にある牡石(オス)は花崗岩で、半分埋まり、半分露出している。石の長さは1.5メートルほどだ。
『尾張名所図会』で、「牡は藤森道(ふじもりみち)の畔 (ぐろ/小高くなっているところ)、金蓮川(かなれがわ)の邊(ほとり)にありて、長五尺、横一尺五寸、高一尺」とある。
 かつての香流川の流れは、この手前で大きく北側に蛇行して猪子石神明社と月心寺(地図)のすぐ南を流れていた。今昔マップを見ると、その頃の様子が見てとれる。
 かつては文字通り香流川の畔(ほとり)にあって、その後、宅地整理の際に現在地に移された。
 この石は、古墳の天井石か何かではないかといもいわれている。大がかりな宅地開発が行われて古墳のたぐいは一切消滅してしまったのだけど、かつては小さな古墳がたくさんあったと伝わっている。近くの和爾良神社地図)の参道にも小型の円墳があったという。
 この石は古墳の玄室に使われた石の可能性は充分あると思う。名東区一帯に花崗岩はないことから、遠方から運んできたと考えられる。花崗岩の産地の三河からではないかという説もある。
 置かれた場所としてはあまりにも香流川に近すぎるため、元から川沿いでむき出しになったというのはちょっと考えにくい。川のほとりに古墳など作ったら、大雨ですぐに流されてしまう。あるいは洪水で上流から流されてきたものかもしれない。
 昔から牡石は触ると祟(たた)りがあると言い伝えられていることからしても、古墳の石の可能性を思わせる。
 寝そべった猪の姿に似ていなくもないけど、姿形から猪子石と名付けられたとは考えづらい。

 大石神社にある牝石(メス)は、礫岩(れきがん)と呼ばれる火山岩だ。噴火によって流れ出した溶岩が溶けて固まったもので、小さな石が集まってごつごつした姿をしている。
 これもこのあたりにはまったくない石で、どこかから運んできたものだ。産地についての情報は得られなかった。
 石は半分地面に埋まっていて、大きさは「長さ四尺五寸、横三尺、高一尺五寸」で、牡石とあまり変わらない。
『尾張名所図会』で描かれた絵を見ると、小高い山の山頂に祀るように乗っている。
 昭和30年代に大規模宅地開発が行われるまでは海抜120メートルほどある小高い山が残っていて、そこに鎮座していた。古写真でその様子を確認することができる。かなり見晴らしがいい場所で、ちょっとした景勝地になっていた。
 現在はすっかり山は削られ、やや高台の公園横にこぢんまり収まっている。
 小さい石がたくさんくっついていることから子持ち石と呼ばれ、この石に安産祈願をすると無事に赤ん坊が産まれると評判になった。
 日本の農村では、旧暦十月(亥の月)の亥の日に、子供の健やかな成長と子孫繁栄を願う亥の子(いのこ)の祝いという行事が行われていた。その亥の子信仰と村にあった子持ち石が結びついたのは充分に考えられることだ。
 牝石は安産の御利益があるということで、いくら触っても大丈夫とされている。

 区画整理や町名変更で昔の地名が消滅してしまったところも多いけど、わずかでも手がかりが残っていればそこから歴史を辿ることができる。古くからある地名には必ず意味がある。それは過去の人たちが未来の私たちに向けたメッセージを含んでいる場合もある。災害が起こった記憶をとどめるものだったり、悪い土地につける名前などがそうだ。
 この町名の由来ってなんだろうと、ふと心に引っかかったときは、それを調べてみると意外な過去や面白いエピソードに当たったりする。そこから神社につながったりもするので、そういう小さな引っかかりを大事にしていきたいと思う。

 

作成日 2017.3.24(最終更新日 2019.1.28)

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