八幡社(篠原)

八幡造って本当?

篠原八幡社

読み方 はちまん-しゃ(しのはら)
所在地 名古屋市中川区太平通三丁目10番 地図
創建年 不明
社格等 村社・十四等級(十二等級に?)
祭神

應神天皇(おうじんてんのう)

 アクセス

・あおなみ線「荒子駅」から徒歩約22分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 江戸時代の丸米野村(まるこめの-むら)にあった八幡社。
『愛知縣神社名鑑』は創建年を不明とする。
 1655年-1658年に行った調査をまとめた『寛文村々覚書』には、「八幡壱社 社内年貢地 熱田祢宜 福大夫持分」とあるから、その頃にはすでにあったということが分かる。
 社内年貢地となっていて前々除となっていないということは、1608年の備前検地以降に建てられた可能性が高い。備前検地以前から除地になっていたところを前々除といい、備前検のときに除地にされたところを備前検除という。
 これらのデータからすると創建年は1600年前後から1654年の間ではないかと予想する。まったく的外れかもしれないけど。

 この八幡社は通称、篠原八幡社と呼ばれている。それはかつてこのあたりが篠原村だったことに由来する。現在の住所は太平通三丁目で、篠原町という町名はない。
 明治11年に丸米野村と八ツ屋村が合併して篠原村となり、明治22年には篠原村、長良村、四女子村、小本村が合併して松葉村になっている。更に明治39年には松葉村、岩塚村、柳森村が合併して常盤村になった。
 その間も大字篠原という地名が続いていたのだろう。それで、篠原八幡社という通称が定着して今も続いていると考えられる。
 八幡社は明治44年に現在地に遷座している。なので、篠原は遷座以前の場所のことかもしれない。

 丸米野村の由来について津田正生は『尾張国地名考』の中で、「地名いまだ考へず」と言っている。いろいろ調べたり人に訊ねたり考えたりしても分からなかったらしい。
 ここからさほど遠くない同じ愛智郡に米野村(こめの-むら)もある。米野村については、熱田神領目録に愛智郡薦野村とあるので、「こもの」から「こめの」に転じたのだろうとしている。
 
薦は推薦の薦で、「せん」、「すす(める)」の他に「こも」とも読む。
 丸米野村が米野村から派生した村だったのか、区別をつけるために頭に丸をつけたのか。

『愛知縣神社名鑑』の中で、おや? という記述がある。
「本殿 八幡造」
 八幡造?
 そんなことを意識しないまま写真を撮ったのではっきり判別できないのだけど、写真を見る限り一般的な流造に思える。
 八幡造というのは、宇佐神宮石清水八幡宮のように二棟の建物を前後に連結させてひとつの社殿にしたものというのが基本的なスタイルだと思うのだけど、その定義はもっと幅広いのだろうか。
『愛知縣神社名鑑』が発行されたのは1992年で、それ以降に建て直されたというほど新しくは見えない。
 単純に八幡社側の報告ミスなのか、愛知県神社庁の書き間違いなのか、もしくはかつて実際に八幡造で、そのときのデータを載せてしまったという可能性もあるだろうか。
『愛知縣神社名鑑』に載っている八幡社を確認したところ、八幡造となっているのは、ここ篠原の八幡社と南区要町の八幡神社の二ヶ所しかない。 南区要町の八幡神社はまだ行っていないので、行ったときはちゃんと確認することにしたい。

 本殿の左右に祀っているのは、天王社と秋葉社で、境内社として天満天神社がある。
 それぞれの例祭が行われているようで、地域の人たちをつなぐ役割をしっかり果たしている神社ということが言えそうだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

太平通にあるけど篠原八幡社

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