神明社(伝馬)

日待信仰から天道社、天道社から神明社へ

伝馬神明社

読み方 しんめい-しゃ(てんま)
所在地 名古屋市熱田区伝馬3丁目3-7 地図
創建年 1760年(江戸時代中期)
旧社格・等級等 村社・十五等級
祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
軻遇突智神(かぐつちのかみ)
アクセス 地下鉄名城線「伝馬町駅」から徒歩約7分
駐車場 なし
その他 例祭 10月14日
オススメ度

 熱田区の南東の外れにある神明社。
 今は神明社となっているこの神社は、かつて天道社と呼ばれていた。境内には天道社と彫られた石碑があり、マピオンでは今も天道社社務所となっている。
『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「創建は宝暦十年(1760年)という。明治5年、村社に列格し大正3年11月29日、隣接の村社秋葉社を合祀する。元伝馬町5丁目45番の1に鎮座のところ昭和19年8月21日50米道路にかかり現地に遷座した。神石は土中埋もれた巨石であると。昭和50年10月地下鉄開通工事にともない、本殿を造営し社務所を改修する。通称、築出のお天道、天道社ともいう」
 御神体は文禄5年(1596年)の銘の入ったお日待碑で、本殿の下に埋められているという。
 お日待が天道社となり、明治に神明社になったという流れの神社のようだ。
『尾張徇行記』(1822年)は、「町東一里塚ノ傍ニ天道石トテ古ヨリ石一ツアリ、コレヲ祈リテ効アル由」と書いている。
 もしかすると石自体は1596年よりもずっと古くからここに置かれたものかもしれない。
 大正3年(1914年)に合祀された秋葉社についてはこうある。
「秋葉祠 天道石ノ傍小祠也、宝暦十年町内ヨリ勧請スル由」
 天道社の創建を宝暦10年(1760年)としているのは、秋葉社を勧請したとき一緒に祀るようになったことからとも考えられる。

 日待(ひまち)というのは、日暮れから近所の人たちが集まって夜通し食べたり飲んだりしながらお天道様(おてんとうさま)を待つというものだ。民間信仰の一種といっていい。
 一般的には旧暦の1月、5月、9月の15日に行うことが多かったようだ。
 他に庚申待(間黒神社を参照)や月待(志段味諏訪社を参照)などがあった。
「まち」というのは本来、神のそばで過ごすことを意味していたようで、後に待つに転じたとされる。
 平安時代中期の927年完成の『延喜式』に日待のことが書かれているのが初出で、かなり古くからあったことが分かる。
 民間信仰になる以前は、密教や陰陽道の儀式か何かだったかもしれない。宗教的な儀式だったのがだんだん集まって飲み食いする娯楽的なものに変わっていったと考えられる。一番流行ったのが江戸時代で、明治になると急速に廃れていった。ただし、今でも形だけ残っている地区もあるようだ。
 日の出を待つということで太陽信仰と思いがちだけど、必ずしもそうではない。日待から天道社になったのは後世のこじつけのように思う。ましてや太陽信仰ならアマテラスだろうと神明社にしてしまったのはどうなのか。

 日待を行っていたのは神社だったのか寺だったのか個人宅だったのかは分からない。
 ここは江戸時代でいうと、東を精進川が流れ、北は東海道が通っていた。このあたりが宮宿の東の入り口に当たる。
 精進川に架かる橋が裁断橋で、裁断橋の南西には姥堂(うばどう)があった。古地図を見ると、東海道を挟んで北側には大黒堂があったようだ。
『尾張名所図会』(1844年)では、旅人で賑わう姥堂と裁断橋あたりの様子を描いている。
 姥堂についてはこう書いている。
「裁断橋の西詰南側にあり。時宗、亀井山圓福寺の末派なり。堂中安阿彌作の奪衣婆の坐像を安置す。いわゆる三途川の姨子是なり。又【熱田舊記】に、永禄の頃、幸順僧都といへり沙門、此川を歩行渡せしに、折ふし水高ければ、過つて溺死せり。故に僧都川(そうづかは)と呼初めしよし。其此此籩に貪欲の老婆ありて、彼僧の衣類をも剥取りしに、老婆程なく命終せしが、欲心深き老婆よなよな此あたりをさまよひけるに、其縁類是を憐み、罪障消滅の為、三途川の姥の像を安置すともいへり」
 戦国の頃、精進川を歩いて渡ろうとした僧が川に流され命を落とし、それを見た強欲な老婆が死体から服を脱がせて持ち去ったところ、ほどなく死に、その後霊になってこのあたりをさまようものだから老婆の供養にと奪衣婆(だつえば)の座像を安置するために建てたのが姥堂という。奪衣婆は熱田社の涙ヶ池のそばにあったものを移したものとされる。
 かつて姥堂があったあたりにこの神明社は建っているのだけど、日待と姥堂との関係は分からない。

 天道社というと、大須の日出神社や東区の松山神社を思い出す。
 日出神社にあった天道宮は清須から移したもので、アマテラスとツクヨミを祀るとしていた。
 東区の松山神社は修験道に関係のある神社らしく、祭神はアマテラスとしている。
 これらの神社も元を辿るとアマテラスを祀る神社などではなく別の信仰によるものだ。
 日待にしても太陽信仰にしても、長い年月の中で様々な要素が入り交じって形を変えていったので、その実態はよく分からなくなっている。安易にアマテラスに結びつけるの違うのではないかと思う。
 この神社も神明社ではなく天道社のままでよかった。神明社では興味を惹かれない人も、天道社となっていたらちょっと気になるはずだ。神社もそういった引っかかりが大事だ。
 個人的にはここは天道社という認識でいたい。

 

作成日 2017.8.18(最終更新日 2019.9.6)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

伝馬神明社は日待信仰から

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