熱田社(西福田3)

江戸時代前期の熱田明神か

西福田3熱田社

読み方 あつた-しゃ(にしふくた3)
所在地 名古屋市港区西福田3丁目324 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 無格社・十四等級
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
アクセス 近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約45分
バス停留所」から徒歩約8分
駐車場 なし
webサイト  
オススメ度

 神社があるのは西福田新田の南東端近くに当たる。堤防を挟んですぐ南は茶屋後新田だった。
 西福田新田は1643年(寛永20年)に東福田新田に続いて八田村の鬼頭景義が開発を行った。東福田新田と西福田新田の間には戸田川が流れていた。
 1665年に尾張藩家老の志水甲斐守に西福田新田は給付された。その頃は川と池だらけの土地でまともに作物が育てられるような状態ではなかったため、志水甲斐守は自ら人足を雇って埋め立てをして田畑にした。
 1684年(貞享元年)に検地が行われ、その後、東福田新田と西福田新田をあわせて福田新田村と呼ぶようになった。
『尾張徇行記』(1822年)はそのあたりのことをこう書いている。

「西福田新田ハ寛永二十年福田新田検地ノ時、大分池川有之、水帳ニモ池川二十二町九反五畝十一歩ト有之、其以後給人志水甲斐守自分人足ニテ右池川埋立、田畠百六町四反一畝二十八歩自分新田開発セラレシ由寛文覚書ニアリ、然ルニ天和二戌年自分起新田一統 ノ通リ上御所務ニナリ、貞享元子年検地アリテ如此御高キハマレリ」

『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書く。
「創建は明かではない。『尾張志』に熱田大明神社福田新田にありと社蔵の棟札に寛文元年(1661)のものあり、明治6年据置公許となる。昭和59年9月18日本殿を造営遷座祭を施行した」

 寛文元年(1661年)の棟札が創建のときのものなのか、修造のときのものなのかはっきりしない。
 西福田新田の開発が1643年で、志水甲斐守に与えられたのが1665年だから、その間の棟札ということになる。創建にしても修造にしても、鬼頭景義が何らかの形で関わった可能性がある。
 ただ、最初からヤマトタケルを祀ったとは思えない。熱田大明神を江戸時代前期の人たちがどう捉えていたのかは分からないのだけど。

『尾張志』の福田新田村の神社はこうなっている。
「神明ノ社三社 山神ノ社 熱田大明神ノ社二所 六社共に福田新田村にあり」

『尾張徇行記』の西福田新田に関する記述はこうだ。
「須成村祠官寺西伊豆守書上帳ニ、西福田新田ノ内熱田大明神神明 勧請ノ初ハ寛永十九年也
 大明神二社 勧請ノ初ハ慶安四卯年也
 熱田大明神 勧請ノ初ハ同上(慶安四卯年)
 熱田大明神 勧請ノ初ハ同上(慶安四卯年)
 神明社 勧請ノ初ハ寛永十九年也」

 これらのうちのどれが西福田3の熱田社のことを指しているのは判断がつかない。
 寛永19年は1642年だから、西福田新田の開発に先立ってということになる。
 慶安4年は1651年で、これがそうだとすると、寛文元年(1661年)の棟札は創建から10年後の修造時のものということになりそうだ。

 神社由緒書きや境内の説明板によると、由緒は不詳で明治20年頃に堤裏28番地に鎮座、とある。
 現在地の旧住所は堤裏103番地なので、こことは別の場所にあったということか。
 明治40年に善太新田から拝殿を移築したとも書かれている。善太新田はおそらく今の愛西市のことだと思うけど、どこの神社からどういういきさつで拝殿を移すことになったのかは不明だ。

 今昔マップの1888-1898年(明治21-31年)に鳥居マークは確認できない。
 神社の説明書きに明治20年頃堤裏28番地にあったというからには現在地の近くにあったはずだ。堤防沿いのもっと西ということだろうか。
 東西の堤防に沿って民家が並び、南北の道沿いにも少し家が点在していたようだ。
 この頃このあたりは福屋村と呼ばれていた(明治22年より)。
 1920年(大正9年)の地図に鳥居マークが現れる。このときはすでに現在地にある。
 この頃は東之割と呼ばれていたので、今でも東之割熱田社とも称している。
 戦前までは村の様子に大きな変化はない。
 
戦後の地図で民家が減っているように見えるのは空襲で焼けたためだろうか。
 1960年代以降に区画整理されて、現在とほぼ変わらない姿になった。
 1976-1980年の地図で北西に鳥居マークが現れる。今ここに神社はなく、詳細を把握できていない。別の神社の元地だろうか。
 その後、少しずつ民家は増えて田んぼは減っていった。それでもまだ田んぼは残っている。

 伊勢湾台風の話は出てこないけど、ここも大きな被害を受けているはずだ。
 現在の社殿は昭和58年に再建されたものだろうか。そのわりには新しく見える。
 境内の東側には観音堂があり、堂内で円空仏が祀られている。
 訪れたのは夏祭りが行われた日の夕方だった。紅白の幕をかけた土台の上で子供たちが太鼓などを披露したという。このときはそんな空気感が残存する祭りの後といったふうだった。
 頭上には提灯が掛けられ、神社の外では青く実った稲が風に揺れていた。
 名古屋で最も新しい土地が昔ながらの風景を一番残しているように思える。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

西福田3丁目の方の熱田社は祭りの後

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