神明社(東蟹田)

もはや蟹はいないだろう

東蟹田神明社

読み方 しんめい-しゃ(ひがしかにた)
所在地 名古屋市港区東蟹田1711 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 村社・十四等級
祭神 國常立命(くにのとこたちのみこと)
迦具土神(かぐつちのかみ)
アクセス 近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約44分
駐車場 なし
webサイト  
オススメ度

 1640年(寛永17年)から1643年(寛永20年)にかけて八田村の鬼頭景義が開発した東福田新田の中で、一番北にあったのが東蟹田の集落だ。少し離れて西には西蟹田の集落があった。どちらも戸数は少ない。
 すぐ東に江松村があり、そちらは干拓前からの海辺の集落で規模は大きかった。今は中川区に属している。そのあたりのことは神明社(江松5)のページに書いた。
 この神明社は東蟹田にあるのだけど、西蟹田に神社はないので、東西の蟹田集落の氏神だったのではないかと思う。

『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建は明かではない。東蟹田の鎮守の神として新田の経営を見守り給うた。明治5年7月、村社に列格する。明治20年9月2日、昭和9年9月2日、拝殿を改築した」

『尾張志』(1844年)の福田新田村の項を見るとこうなっている。
「神明ノ社三社 山神ノ社 熱田大明神ノ社二所 六社共に福田新田村にあり」
 神明3社のうちの1社がこの東蟹田の神明社のことだと思うのだけど、断定はできない。というのも、かつて東福田村だったエリアに現在、東茶屋、東蟹田、七反野、春田野の4社の神明社があるからだ。

『尾張徇行記』(1822年)の福田新田村の神社関連はこうなっている。
「大明神三社界内一反一畝十五歩前々除 蔵屋敷九畝除地」
「横井村祠官二村長門守書上帳ニ、東福田新田ノ内神明祠 此社ハ寛永十九年勧請也」
「山ノ神社 此社ハ寛永二十一年巳年勧請也」
「中ノ郷村祠官高羽但馬守書上帳ニ、福田新田七段ノ割神明大明神二社」
 このうちのどれが東蟹田の神明社のことを言っているのか判断できない。

 祭神が國常立命(クニノトコタチ)と迦具土神(カグツチ)になっているのが気になる。
 カグツチは秋葉社を合祀した可能性が高いけど、クニノトコタチとはどういうことか。最初からそうだったのだろうか。
 クニノトコタチは、日本神話における根源神で、『日本書紀』では最初に現れた神と書かれている。
 クニノトコタチを祀る例は少ないながらもある。『尾張志』などでも出てくるから江戸時代の人たちにも認識されていたということだ。
 名古屋の神社で主祭神として祀っているところとしては、緑区大高町の田中神明社や北区中杉町の神明社・八幡社合殿(杉ノ宮)などがある。
 クニノトコタチは新宗教で重視されるので、古くて新しい神でもある。
 東蟹田の神明社が最初からクニノトコタチを祭神としていたのかどうかは何とも言えない。明治以降の可能性も考えられる。

 東蟹田(ひがしかにた)の蟹田は、「干田(かんた)」の意味で、潮の干満で田のようになったことからという。
 川蟹の繁殖地だったからという説もあるけど、それが地名になるとは思えない。
 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、この頃はまだ江戸時代からの東蟹田、西蟹田の集落がそのまま続いていたことが分かる。田んぼの中に作られた農道沿いに民家が並んでいる。
 現在の302号線の元になる道がすでにあった。この道の上に現在、高速道路の高架を建設している。北の名古屋西インターと南の飛島ジャンクションをつなぐ近畿自動車道伊勢線で、これがつながるとようやく名古屋環状2号線が完成する。
 戦後まで村に大きな変化はない。昭和に入っても純農村地帯だったようだ。
 
1960-1970年代になると少し民家は増えるものの、まだ田園地帯のままだ。ただ、西の道路が拡張されている。
 地図によって鳥居の位置が少し違っているのは地図上のことだけなのか、少し移されたのか、境内が縮小されたのか。基本的にこの場所から大きくは動いていない。
 
1970年-1980年代以降は区画整理が進んで民家も増えた。今は田んぼもほとんどなくなり、すっかり住宅地になった。

 わりと奥行きのある神社で、参道を進んでいくと木造の拝殿があり、それにつながっている鉄筋コンクリート造の白塗りの建物は祭文殿に当たるだろうか。プレパブの渡殿のようなものが連結し、本殿は木造の神明造になっている。
 継ぎ接ぎな感じがちょっと面白い。
 社殿横にある山車庫のような建物は神楽を納めている倉庫だろうか。

 蟹田の地名が実際、蟹が多かったからだとしたら、それはもうほとんど失われてしまった。街中の水路にもう沢ガニなどはいないだろう。田んぼが残っていたとしてもザリガニさえいないかもしれない。
 蟹田の地名が蟹から来ているのではないとしても、かつてこのあたりの田んぼや水路には多くの蟹がいたに違いない。それはほんの30年、40年前の話だ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

蟹がいてもいなくても東蟹田神明社

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