例祭日情報の不確かさ

 二周目の直しは、南区の小社(源兵衛町1)稲荷社(鳴尾町ハノ割)白水神社秋葉神社(駈上)

 南区の中盤以降は直すところが少なくなった。2018年2月から3月にかけて書いたものだけど、ほとんど2019年基準といっていい。
『南区の神社を巡る』、『南区の歴史』、『尾張国地名考』で足りない部分を補完するくらいで、あと今昔マップの情報を加えている。

 例祭日については、『愛知縣神社名鑑』の情報が古くて不確かなので載せなかったのだけど、途中で思い直して載せることにした。
 例祭も時代と共に変わっていっていて、決まった日ではなく日曜日や祝日にずらすところが多くなっている。
 なので、情報としては正しくない可能性がけっこうあるのだけど、とりあえず載せておく。正確な情報が分かったらもちろん書き換えるようにしている。
 この点は前からずっと気になっていた。
 サイト全体についての説明ページを作った方がいいかもしれない。



足りているところといないところ

 二周目の直しは、南区の天白神社(天白町)須佐之男社(源兵衛町)千鳥神社(鳴浜町)三吉稲荷大明神

『南区の歴史』は神社情報が少ないので、あまり参考にならない。
『南区の神社を巡る』は聞き込み情報が素晴らしい。すべての区はこの本を参考にして同じようなものを作って欲しい。
 ただ、史料の引用が少ないので、その点がやや残念に思う。このサイトがそのあたりを補完できていればいいのだけど。

 福永武彦訳『現代語訳 日本書紀』を借りてパラパラ読んでみたのだけど、全訳ではないので物足りない。
 日本語に関しては小説家らしく文学的でこなれていて読みやすい。
 全部は読みたくないけどある程度知っておきたいという人にはオススメできる。
 私は『全現代語訳 日本書紀』宇治谷孟(講談社学術文庫)を読み進めているところだ。
 今まで間違って認識していたことがたくさんあることに気づいた。草薙剣についても、どこかで一度書きたいと思っている。



毎日やれば

 二周目の直しは、南区の濱鶴ノ宮神社稲荷社(南野)八幡神社(要町)

 直しのペースはそれほど上がっていないけど、8月中に南区は終わると思う。
 次は最後の熱田区となる。

 名古屋遺跡マップも少しずつ進めている。
 毎日やっていけばいつかは終わる。



『尾陽雑記』を参照する

 二周目の直しは、南区の喚續社琴飛羅社(星﨑)稲荷社(鹿島)

 住所は星﨑となっているけど、これらの神社は南野村の神社だった。
 ここは笠寺台地の南で、古代は海だったところだ。今も海抜1メートルから2メートルの低地となっている。
 海からはだいぶ遠ざかったとはいえ、伊勢湾台風のようなことがあると浸かってしまうのではないかと思う。
 そういう土地なのでそれほど古いわけではないだろうと思いきや、土器なども見つかっていることから、陸地化して早い段階で人が暮らし始めたところだったようだ。
 神社は土地の記憶も伝えるものなので、私が喚續社に感じた特別な何かは土地が発しているものかもしれない。

『尾陽雑記』を参考史料として使う。
 作者ははっきりしていなくて、一応は水野守俊だろうということになっている。
 いわゆる尾張国の地誌で、風土や寺社、城跡、人物など、様々な事柄について書いている。
 雑記の名の通り、思いつくままあれもこれも記録している感じで、まとまりは欠いている。神社についての記述もあるので、参考になる部分があれば追記したい。
 それにしても文字が小さくて丸文字フォントなので、ひどく読みづらい。何故このフォントを採用したのか謎だ。
 昭和7年に愛知県教育委員会が発行したものを昭和52年に愛知県郷土資料刊行会が復刻したものだ。名古屋市の図書館で借りられるものはこれしかないので、頑張って読むしかない。ハズキルーペが必要か。



2018年以降の南区

 二周目の直しは、南区の軻愚突知社(本星﨑)迦具土社(丹八山)市杵島社(星﨑)

 ここからは2018年に入ってから書いたものなので、前半のページと比べると直すところは少ない。そういえば南区はけっこう間が空いたのだった。
 この先は直しのペースも上がっていくと思う。

 名古屋遺跡マップを引き続きやっている。
 すべての遺跡を回ることは現実的ではないのでやらないけど、これまで折に触れて巡ったところについては写真も一、二枚載せていくことにする。ブログ記事があればそちらにリンクもしておく。
 需要は少ないサイトだけど、誰もこんな面倒なことを好き好んでやるとは思えないので、私が作っておく。誰かが一度作ってしまえば、後々長く使えるサイトになるはずだ。大がかりな調査や大発見でもない限り書き換えが必要になる部分も少ない。



神社か土地か

 二周目の直しは、南区の熊野三社(呼続)秋葉神社(菊住)

 熊野社が山崎城の佐久間信盛創建という話には納得がいかない。もっとずっと古い神社に思える。ただ、佐久間信盛が熊野信仰の人だったという話は本当かもしれない。
 樹齢500年を越えるクスノキがあるということはそれだけ古い土地ということで、私が感じたのは神社の古さではなく土地の古さだっただろうか。

 呼続エリアの秋葉社はどこも特徴があって、わりとよく覚えている。
 菊住の秋葉社は何神社か分からず、『南区の神社を巡る』によって秋葉社だということを知った。
 ただし、近所の人が言うには、という但し書き付きなので、全面的に信じていいかどうかは分からない。

 名古屋遺跡マップは各ページの肉付け作業に入った。
 ここからは『新修名古屋市史 資料編 考古1』を参考にして内容の充実を図っていく。
 名古屋の遺跡に関してはこれが基礎史料になると思う。



年中無休とはいかない

 二周目の直しは、南区の秋葉神社(呼続1)

 今日は時間がなくて1ページだけ。
 明日も時間がないので直しをできるかどうか分からない。

 お盆も台風もサイト作りには関係がないのだけど、できないときはできない。
 まだ当分暑そうだから、神社巡りの再開は9月になってからだ。

明治が嫌い

 二周目の直しは、南区の秋葉神社(呼続3)秋葉神社(呼続2)

 そういえば南区には秋葉社が多い。こういう小さな社を残していこうという心意気に好感が持てる。廃社や合祀は簡単だけど、一度やってしまうとほとんど元には戻せない。
 明治政府が行った神仏分離令よりも神社合祀政策の方が罪は重い。それによって神社はボロボロにされてしまった。
 明治という時代を賞賛する人は多いけど、私は日本の歴史の中で明治政府が一番嫌いだ。新しい時代の流れで仕方がなかったで済まされることではないことをやりすぎた。
 明治政府の人間がもう少しまともなら日本にはもっと多くの歴史や文化が受け継がれていた。もはや取り返しはつかない。

スタイルの確立は2018年以降

 二周目の直しは、南区の豊田本町神社大磯神社

 豊田本町神社までは2017年の4月から5月にかけて書いたもので、大磯神社からは2017年の12月以降になる。この間、半年空いたのは、他の区を回っていたからで、その後また南区を再開した。
 ただ、それでもまだスタイルは確立されていないので、直さなければいけないところは多い。スタイルがだいたい固まったのは2018年のいつくらいからだっただろうか。今昔マップを知ったことが大きな分岐点になったのは間違いない。あれで村域の把握がぐっと楽になった。
 引き続き南区の直しをやっていく。

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