御嶽教と御嶽神社とは

 今日の1ページは緑区大高町三番割の御嶽名和教会
 通常の(?)御嶽神社とは別に、御嶽講社の教会がある。これは神社なのか違うのか、どう捉えたらいいのかちょっと分からない部分がある。
 御嶽神社と称して普通の神社の外観をしていても御嶽講社が関わっていたりすることもある。というより、御嶽教や御嶽講社が関わっていない御嶽神社は存在しないか。
 では、御嶽神社と御嶽教会との違いは何か、ということにもなる。
 御嶽信仰と御嶽教と御嶽講社をひとつのものとして考えるか分けて考えるかということがひとつある。
 私の理解不足ということもあって、そのあたりのことを上手く説明することができない。
 講社や教会に関しては史料にもネットにも情報がほとんどないので、知りたくても知り得ないのが現状だ。
 残る道は御嶽教の方に直接教えを請うしかない。多少なりとも理解した上で、御嶽神社や御嶽教会のページを加筆訂正したいと思う。

緑区を再開する

 今日の1ページは緑区大高町寅新田の津島社
 今日から緑区を再開する。緑区は去年6社だけやって長く間が開いた。他の区を回っていて後回しになっていた。南区が終わって、次に緑区を一気に終わらせたいと思っている。
 まずは地理と村の把握から始めないといけない。ただ、緑区の場合、村が少ないのが助かる。南の大高村と北の鳴海村、その間に有松村と桶迫間村があって、あとは新田村や相原村があるくらいなので、村境であれこれ頭を悩ますことは少ないと思う。
 古代の海岸線や古墳・遺跡の位置関係もそれほど複雑ではない。
 問題は、古代にどういう勢力がここを支配していて、そこからどういう変遷を辿って神社が建てられていったかということだ。
 大高は尾張氏の本拠のひとつだったとして、それ以外の地区における氏族や尾張氏との関係性が私自身まだ分かっていない。
 鳴海と大高とではまったく別の地域だし、大高になると知多との関係性も考える必要がある。
 緑区の神社は全般的に手強そうだと感じている。

南区がようやく完了

 今日の1ページは南区の櫻ノ宮龍神
 これでようやく南区が終わった。小さな不明社や見落としなどもあるのだろうけど、南区はとりあえずここまでとする。
 なんだかずいぶん長くかかった気がする。中川区より苦戦した。
 登録社数は72社となった。このうち神社本庁に登録しているのが35社なので、半分は未登録の神社ということになる。当初考えていたよりもずっと長くかかってしまっているのは、神社本庁に登録していない神社が想像以上に多いことが要因だ。この調子でいくと完全に600社を超えることになる。

 南区に関しては、『南区の神社を巡る』が大きな助けになってくれた。これがなければ知り得なかったことがたくさんある。あらためて感謝と敬意を表したい。
 どの区もこれくらいやってもらえると私としては助かるのだけど、残念ながら知る限り『南区の神社を巡る』ようなものは他の区にはない。
 聞き取り調査をやればここまで分かるというお手本なので、私も見習いたい。聞き取り調査は今後の課題だ。

 次は緑区を再開しつつ、守山区の残りも平行してやっていこうと思っている。
 緑区はめぐるのもやっかいなのだけど、歴史がけっこう難しくて苦労しそうだ。他の区にはない独特の重たさみたいなものを感じる。
 あと西区も実は大変で、小さな社まで網羅しようとするとたいへんなことになりそうだ。不明社は勘弁してもらうかもしれない。
 丸々残している港区については今のところ考えないことにしている。

地図をどうしたらいいのだろう

 今日の更新は2ページ。南区大同町の稲荷社、南区浜田町の浜田神社
 ほぼ南区も終わりなのだけど、新田地図が頭の中に入っていないのが心残りだ。南区全域の地図も把握できていない。中川区はわりとできたのに南区ができなかったのは何故だろう。
 昔から地理はあまり興味がなかったので地図を覚えるのが苦手なのかもしれない。こうなったら名古屋市の地図を手書きして覚えるしかないか。書いて覚えるのが一番早いことは確かだから、地図もそうに違いない。

 神社めぐりのときに使いやすい地図というのはどういうものなのだろうと考えている。
 私の場合は、PCで回るエリアの地図を印刷して、神社のある場所に印をつけておいてそれを手に現地を回るというスタイルでやっている。カーナビだけでは細かいところまで分からないし、スマホの地図は使いづらい。紙に印刷しても迷うけど、それでもこれが一番ましだ。
 スマホでこの神社サイトを見ながら神社を巡ると想定した場合、どういう地図があれば分かりやすいのだろう。目的の神社があらかじめ決まっていればそのページの地図を表示してそこへ向かえば迷うことはあまりないはずだ。
 ただ、たとえば今日は南区の神社を回ろうと決めて何社か行く場合、回る神社を探すときにこのサイトは使いづらい。南区一覧のページを開いても位置関係が出ていないので、どことどこが近いのか分からない。
 考えているのは、区の一覧ページにその区の地図を載せて、ピンを打ってリンクするというスタイルだ。できれば区事と名古屋市全体とをリンクさせたいのだけど、そのための方法が思いつかない。
 ネット上のマップに600ヶ所もピンを打つことは可能なのだろうか。

 回った神社を全部載せることだけではなく利便性の高いサイトにしたい。そのためにはまだまだ改善の余地がある。

分からなさにクラッとする

 今日の1ページは南区大同町の神明社
 江戸時代に新田を開発するためには当然、尾張藩の許可が必要で、記録が残っていそうなのに意外と残っていない。開発者さえはっきりしないようなところもある。
 新田の守り神として神社を建てたなら、それは普通に伝わっていそうなものなのに伝わっていない。
 そのあたりのうやむやさというのが今ひとつ理解できない。何故、神社のことはこうも伝わっていないのか。それは誰の責任なのか。

 名古屋の神社の場合、尾張の地誌が多く残されている分、他の地区よりも史料には恵まれている方だ。それでも神社のことについては分かることよりも分からないことの方がずっと多い。
 私の知識や理解が足りないことが一番の問題ではあるのだけど、ときどきあまりの分からなさに軽い絶望を感じて虚しくなることがある。
 とにかく今は、分かる範囲のことを書いて、早いこと一周させたい。二周目、三周目で加筆訂正しながら仕上げていく。
 終わりはないけどどこかで区切りは付けたい。

遅々として進む

 今日の1ページは南区の松水神社
 南区の南西エリアはほとんどが干拓によって作られた陸地で、主に新田開発されたところなので、神社もそれにまつわるものが多い。
 わりと分かりやすそうではあるのだけど、新田の数が多くて、どこがどの新田なのかを把握するのが難しい。
 東又兵ヱ町や弥次ヱ町や加福町、宝生町など、新田の名前がそのまま町名になっているところが多いのが救いだ。
 南区のこのへんは村と村の境界線がよく分からないというのがある。このあたりの新田は笠寺村なのか、笠寺村に属さないのか。笠寺村と鳴尾村の境界はどこだったのか。

 サイト作りは遅々として進まない感覚があるけど、言い方を換えれば遅々として進んではいる。600社の道も1社から。休まず毎日1社ずつでもやっていけばいつか終わる。
 ひょっとして600社超えもあるのか? まさかはある。

まだ地理は把握できていない

 今日の1ページは南区東又兵ヱ町にある稲荷社(大生稲荷神社)
 又兵ヱ稲荷社といった方が分かりやすい気がするのだけど、大生も地名で、こちらを採用したようだ。
 地名や町名をつけないと他と区別がつかない神社はたくさんある。しかしながら地名を冠したからといってすべてを把握するのは難しい。これまで500社近く調べて書いてきて、どれくらい覚えているか自分でも自信がない。新しいところを覚えるごとに前にやったところを忘れてしまっているようにも思う。中村区、中川区あたりはだいぶ忘れてしまったんじゃないだろうか。

 いまだに頭の中の神社マップは穴だらけだ。地理の把握が不完全で、神社の位置も掴み切れていない。
 最終的にはすべての神社の位置をマップにピン留めしたものを作りたいと思っているのだけど、それは可能なのだろうか。
 ピンをクリックするとその神社のページに飛ぶことができれば使い勝手のいいサイトになるはずだ。
 前に一度調べたときには、難しそうでもありできそうでもあった。ただ、マピオンにはそういった機能がなさそうなので(あるのかもしれない)、googleマップとかで作られないといけないだろうか。

壁神社と団地神社

 今日の更新は2ページ。南区の宝神社(港東通)宝生神社
 どちらも戦後に建てられた新しい神社で、どちらも熱田大神を祀る。名前は似てるけど直接的な関係はない。
 どちらも個性的な神社だ。宝神社はビルの壁面にあり、宝生神社は団地の中にある。名古屋の南西エリアは、北東エリアと比べてユニークな神社が多い。公園内神社もとても多い。

 南区が完成に向かっている。予定ではあと6社だ。まだ6社も残っているというべきかもしれないけど、ようやく終わりが見えてきたのは嬉しい。
 神社めぐりとしては緑区を再開している。緑区は数はさほど多くないのだけど、広範囲に散らばっているのと狭い道を入っていったところにある神社が多いので、けっこう時間がかかりそうだ。
 港区をいつ始めるって私言ってました? 5月も無理で6月にずれ込むのか。だとしたら市内編の完成は8月になる? そんなバカな。

神明社にも個性あり

 今日の1ページは南区宝生の神明社
 神明社は見た目が地味で没個性的だ。だから、何も知らずに訪れて何の情報も得られないまま後にすると面白くない神社だったという印象になる。
 しかし、同じ歴史を辿った神社は一社もなく、神明社ももちろん例外ではない。神明社にも一社ずつそれぞれの歴史があり個性がある。それを知ることによって神明社にも愛着がわくようになる。
 神社めぐりの中で多くの神明社を訪れた。そのすべてを正確に思い出すことはできないまでも、面白い神明社にもたくさん出会うことができた。神明社に対する印象も変わった。
 それもまた、神社サイトをやって良かったことのひとつだ。

道徳に住めば道徳的になる?

 今日の1ページは南区道徳の山神社
 鍋屋上野から他の町に移された神社としては、中区新栄の八王子神社もそうだ。
 鍋屋上野に山神社を建てたのは誰でそれがいつだったかは分からない。おそらく江戸時代以前ではあるのだけど、どこまでさかのぼれるかは見当もつかない。
 神社はよその地区へ移されてしまうと以前のことが分からなくなってしまうことが多い。清洲越しで名古屋城下に移された神社などもそうだ。

 道徳の地名は文字通り道徳から来ているのだけど、住んでいた村人たちが道徳的だったわけではなく、尾張藩が道徳的な振る舞いとして替地を与えたことから来ている。
 ただ、名は体を表すという言葉あるように、自分が道徳に住んでいるのだから道徳的な生き方をしなければいけないという考えになるということはあるだろう。
 それにしても昭和初期の南区にレジャーランドがあったことは知らなかったし想像がつかない。真面目に作った真面目な観光地だったのだろうけど、今思えば珍スポットみたいなものだ。
 人工の山を作って山頂に観音像を置いて滝とスケートリンクと温泉があるなんて、はちゃめちゃな世界観だ。そこにこの山神社も隣接していたのだ。

 今後も神社紹介と絡めつつ、こうした名古屋の歴史のエピソードを伝えていけたらと思う。

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