神社に織り込まれた物語

 二周目の直しは、中村区の素盞男神社(日吉町)

 この神社が好きというよりも、この神社が関わった物語に惹かれる。大正から戦前の時代を知っているわけではないけれど、どこか郷愁のようなものを感じる。過ぎ去った時代に対する感傷のようなものだ。
 誰が最初に建てたかも大事なのだけど、関わった人たちの人生が積み重なっているいるのが神社だ。それは当初の思惑を遙かに超えて重たい。最初に神社を建てるとき、千年先の未来のことなど思わなかっただろう。
 神社側の視点に立ってみると、人の祈りや願いを受け止めるのは大変だ。
 歴史を知ることは人を知ることに他ならない。神社の存在がそのひとつのきっかけとなる。

 リクエストをいただいて、今後、神紋について分かる範囲で情報を載せていくことにした。
 できれば写真も掲載したいのだけど、これまで巡ってきた中で意識的に撮っていないので、データがあまりない。なので、写真までは難しいかもしれない。
 神紋画像のリンクについても検討したい。



小椋一葉『天翔る白鳥ヤマトタケル』を読んで

 二周目の直しは、中村区の油江天神社八幡社(大秋)

 油江天神も土江天神も格式のある古社だっただろうけど、それが現代までつながっているとはいえない。形として残っていても、格式がつながっているとは限らない。家も神社も、一度没落すると再浮上は難しい。

 大秋の八幡社もひょっとすると古社なのではないかと思う。こちらはその面影もほとんど残っていない。

 小椋一葉『天翔る白鳥ヤマトタケル』を読む。
 歴史小説として読む分には面白いけど、歴史書というには問題が多い。
 まず、尾張氏がなんたるかということとヤマトタケルとはどういうことかということが根本的に理解できていないように思う。記紀の神話や神社の縁起を素直に受け取りすぎている。
 1989年に出版されたものだからその後認識を深めたかもしれないけど、この地点では分かっていない。
 各地を実際に巡って地元の伝承を調べている姿勢は評価されるべきだけど、あまりにも伝承を信じすぎている。それもまた危ういことだ。
 歴史学は信じる心半分、疑う心半分くらいでちょうどいい。そして、どれだけ確信を持てたとしても、最後の一片の疑う気持ちを持ち続けなければならない。それは歴史家の良心のようなものだ。
 自分の説がどれだけ理にかなっていても、きれいに説明できたとしても、実際に過去に起こったことがそうだったとは限らない。現実は往々にして理不尽なもので、ときに説明がつかない。
 歴史小説家ならこれでいいとしても、歴史学者としては反証を怠っているとしか言いようがない。自分の信じたい物語を補強するために伝承を寄せ集めているような態度は問題だ。
 ヤマトタケル伝承は確かに各地に残っていて、ヤマトタケルが創建したとされる神社やヤマトタケルが祀られている神社は多い。
 個人的にはヤマトタケルは実在したと思っている。作り出された人物像とするには各地の伝承が濃厚すぎる。
 しかし、ヤマトタケル伝承のすべてをヤマトタケルというひとりの人物のものとするのはさすがに無理がある。ヤマトタケルの物語は複数のタケルの二重写し、三重写しで、時代もひとつではないだろう。写真で言うと多重露光のようなものだ。だから、無関係の人間が関係しているような錯覚も起こる。
『出雲国風土記』はどうして倭武天皇としたのか。『先代旧事本紀』では何故、ヤマトタケルは尾張で亡くなったと書いているのか。そのあたりに触れていなかった点も不満として残った。
 ただ、いくつかの考察でいい線を突いていると思ったことがあった。たとえば、ヤマトタケルは伊吹山で負けた後、琵琶湖の東に敵対勢力がいて仕方なく伊勢回りで大和に帰還する道を選んだのではないかとか、亡くなったとき遺体が失われてしまったのではないかとかいったことだ。それはあり得る話だと思った。これなら不自然な大和帰還ルートも説明がつくし、普通に死んで葬られたなら白鳥伝説は生まれなかった可能性が高い。
 信じる気持ちと疑う気持ちが大事というのは歴史家だけのことではない。歴史書を読む我々もまた同じことが言える。
 すべてを疑えば真実から遠ざかるし、信じすぎてもまた真実から遠ざかってしまう。



中村区は個性的

 二周目の直しは、中村区の夜叉龍神社高野宮社

 振り返ってみると、中村区は個性的な神社が多い。この二社もそれぞれそうだ。
 地理的なことをいっても、東西南北、中央、駅前・駅裏と、エリア自体の個性がある。名古屋駅前と南西の庄内川沿いでは同じ区内とは思えないほどまったく別の地区だ。村だけでなく郡が違う。

 中村区の直しは苦戦していてなかなかペースが上がらない。今月中には終わりそうにないので、5月の連休中に終わらせるくらいに思っておこう。



村域把握がひとつの鍵

 二周目の直しは、中村区の春日神社(新富町)白山神社(日比津)

 神社調べで重要なことのひとつに江戸時代の村域把握がある。
 その神社が何村の神社だったか分かれば大きな手がかりになるし、分からなければ途方に暮れることもある。村を把握できれば、『寛文村々覚書』や『尾張志』で調べられる。
 今回でいうと、新富町の春日神社はどこの村だったのかがひとつ鍵を握っているのだけど、結局よく分からなかった。枇杷島村だと思うのだけど、江戸時代の史料の枇杷島村に春日社も権現も出てこない。1572年の創建なら当然載っているだろうに。
 場所の移動が神社調べを難しくすることがあって、村を越えて移動してしまうとなおさら経緯を掴みづらくなる。
 春日社は本当にもとから今の場所にあったのだろうか。

 名古屋の神社の何割を把握しているかということはいえないのだけど、ときどき1割も掴めていないのではないかと暗い気持ちになることがある。実際そうかもしれない。
 大部分回って、回った分についてはけっこう調べて書いているつもりだけど、分かっていることよりも分からないことの方が多いのは間違いない。
 全部分かることなど不可能ということは知りつつも、もう少し分かるようにならないだろうかと思わずにはいられない。



神社のあり方の多様性

 二周目の直しは、中村区の皇座神社土江神社

 名古屋の南西エリアの神社についてはそれまでほとんど馴染みがなくて、このサイトを作り始めて初めて回ることになったのだけど、皇座神社などはかなり驚いたものだった。ほぼ民家の庭で、神社サイトを作っているという言い訳がなければ入っていけなかったのではないかと思う。
 神社のあり方の多様性というのも、このサイト作りの中で知ったことのひとつだ。名古屋市内だけでも実に様々なスタイルの神社がある。
 今思い返してみると、神社を巡っていた日々は楽しかった。じゃあもう一度最初から回るかと訊かれれば答えに詰まる。
 市外編のときにまた回ることになるかもしれないから、それは楽しみに思っている。まだ見ぬ神社がたくさんあって、一生かけても回りきれないのがいい。これは終わりのない旅であり物語だ。
 あの世には廃社になった神社がすべて揃っているエリアがあるんじゃないかと密かに期待している。だとしたら、あの世も悪くない。



『古語拾遺』を読み始める

 今日は更新は休み。
 二周目の直しは明日から再開する。

『古語拾遺』を読み始める。
 現代語訳なのだけど、なかなかに読みづらい。文章がこなれていないのは訳文のせいなのか原文のせいなのか、どちらにしてもすらすら読めない。
 読みやすさでいうと『先代旧事本紀』の方がずっと読みやすい。
 ただ、『先代旧事本紀』は読み物としては面白くない。
 あらためて『古事記』の読みやすさや分かりやすさに感心する。
『日本書紀』も一度は読み通さなくてはいけないのだろう。どれくらいの分量なのか、実感として掴んでいないのも問題だ。



土台作り

 二周目の直しは、中村区の須佐之男社(太閤)五反城神社

 2019年基準が最終稿というわけではないのだけど、とりあえずこの基準で仕上げれば自分では納得できる。一周目の段階ではまだ知識も理解も不足していて、内容が充分ではなかった。一周目を終えてから二周目の直しをするまでにある程度上積みができた。
 完全ではなくても土台となる部分を作っておけば、あとは次に続く人に委ねられる。史料の部分はある程度網羅できたから、聞き取り調査の部分を補強してもらえればありがたい。自分でもできるだけはやりたいと思っているけど、必ずやるとは言えない。

 名古屋遺跡マップもやらないといけないし、いずれ市外編もやりたいと思っている。神社コラムはまだ始められてもいない。
 とはいえ、当面は直しをやっていく。中村区は予想通りかなりかかりそうだ。

何らかの気配

 二周目の直しは、中村区の熊野社(権現通)六生社

 熊野社はもう少し創建のいきさつがはっきりしているといいのだけど、すっきりしない感じが残った。
 六生社はけっこう謎めいている。単にシオツチノオジを祀ったとか、六柱の神だとかではないように思う。創祀ということであれば、かなり古い可能性もあると思う。
 なんだか、境内がざわざわした感じで落ち着かなかったのも、何か要因があるのだろう。入り口の方から団体さんがやってくるような感じが常にあった。
 アウェイ感も強くて、ちょっと歓迎されていないように思ったのは気のせいだろうか。
 霊感などはまったくないつもりでいるのだけど、神社ではときどき何かを感じることがある。
 ある特定の空間に居つくのは神だけではない。

区の歴史シリーズ

 二周目の直しは、中村区の明神社若宮八幡社(西米野町)

 直しも半分を過ぎて、やっと直しのポイントが掴めてきた。どこをどう直せばいいのか分かった。
 今更かとも思うのだけど、そこが分かればあとは難しくない。時間はかかってもすべてのページを2019年基準にできる。
 まだ先は長い。

『中村区の歴史』(横地清)を読み始める。
 区の歴史シリーズは区によってバラツキが大きく、個人で書いているものと歴史の会のようなところが書いているものがあって、方針や方向性にかなり違いがある。
 個人で書いているものの方がまとまりがある一方、見方が狭くなり、広がりや多様性に欠ける。集団が書いている方はまとまりがない。
 一人ですべての区を書くのは難しかっただろうけど、せめて基本的なスタイルや方向性は統一してほしかった。
『中村区』については、まずまず神社情報が載っていて、それなりに参考にはなる。ただ、それぞれの神社を掘り下げているわけではない。

 神社についての郷土資料で一番出来がいいのは『南区の神社を巡る』だ。南区の歴史の会「南歴遊会」というところが書いたもので、しっかり聞き込み調査をやってよく調べてあった。あのレベルのものがすべての区にあれば、この名古屋神社ガイドは必要ないくらいだ。

基礎史料

 二周目の直しは、中村区の神明社(牧野)水野社

 中村区の神社については修正というよりも書き足りていない部分が多いので、書き足しといった方が合っている。
 このときはまだ参照史料がしっかり揃っていなかった。
 基本にしている史料は以下の通り。
『愛知縣神社名鑑』、『尾張志』、『尾張徇行記』、『寛文村々覚書』、『なごやの町名』、区の歴史シリーズ。
 その他としては、『尾張名所図会』、『尾張国地名考』、『尾張国神社公』、その他。
 あと、今昔マップ。
 名古屋は江戸時代の史料が揃っているので、他の市町村よりは条件が恵まれているかもしれない。戦国時代以前に関しては、どの都道府県も揃っていないだろうから同じだ。平安時代あたりの史料がもう少し残っていればよかったのだけど。

 この名古屋神社ガイドは令和やその次の元号まで残ることができるだろうか。

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