八幡大菩薩の教え

 二周目の直しは、中川区の八幡社(四女子町)

 江戸時代の農民にとっての八幡神とはどういう存在だったのだろうといつも気になる。
 戦国時代、もしくはそれ以前からの流れで祀っていたとすればある程度理解もできるのだけど、江戸時代に入ってから八幡神を選択したのはどういう思いからだったのか。
 天照皇大神宮・八幡大菩薩・春日大明神の三社託宣は江戸時代の庶民の間で流行ったから八幡神信仰は武士だけのものではなかったのだけど、感覚的によく分からないのが正直なところだ。
 三社の徳目である正直・清浄・慈悲というものを江戸時代の庶民は本気で大事にしていたのだろうか。
 八幡大菩薩の教えは、「鉄丸(てつがん)を食すと雖(いえど)も、心穢れたる人の物を受けず、銅焔(どうえん)に坐すと雖も、心濁りたる人の処に到らず」というものだった。
『八幡愚童訓』に「八幡ノ神ハ正直者ノ人の頭ヲスミカトス」とある。
 現代の我々も八幡大菩薩の教えに立ち返らなければならないようだ。



不確定要素

 二周目の直しは、中川区の若宮八幡社(小塚町)

 村名が小塚で、古い地名が墓原、社が若宮と来れば不慮の死を遂げたかどうかした人が葬られた塚に社を祀ったのが始まりと考えるのが妥当な推理ではある。
 しかし、いくら理にかなっているからといってそれが真実とは限らない。事実は全然別のところにあるかもしれないから、決めつけてはいけない。
 そこが歴史の難しいところでもあり面白いところでもある。
 我々がそうであるように、どの時代のどの人にとっても未来は不確定であり、現在進行形の現実も不確定要素に満ちている。思い通りにはいかないことが多いし、思いがけず良いことも悪いことも起きる。いつも理屈通りにいくわけではない。
 神社創建の理由にしても一種類とは限らない。変な理由とか、たまたまとか、軽い気持ちでとか、どんな形で始まったか分からない。どんな可能性もあり得る。
 推理することは悪いことではないけれど、実際のところは分からないという大前提を意識しておく必要がある。



力及ばず

 二周目の直しは、中川区の八幡社(篠原)

 初回はちょっとよく分からないまま書いていた部分があったのだけど、あれから少し分かるようになったこともあって、だいぶ書き直した。
 今昔マップによって村域をある程度把握できるようになったのが大きい。
 そのあたりは書籍とネットとの大きな違いで、ネットの優位な点に違いない。地図と連動させることで実際の神社めぐりのときにも役立ててもらえると思う。

 神社検定(神道文化検定)の解答発表があったので答え合わせをしてみた。
 去年の参級は2週間の勉強でなんとなかって98点だったけど、今回の弐級は2ヶ月しっかり勉強して本気の100点狙いだった。
 しかし、結果は力及ばずの97点。悔しいというのとは違うのだけど、少し失望している。
 ただ、2冊のテキスト+『皇室』4冊すべての範囲を細大漏らさず網羅するというのは相当な困難で、どこかで穴やほころびが出るものだ。かなり注意深く細かいところまで覚えていったつもりだったけど、間違ったところはノーマークのところからの出題だった。思い出せなくて間違えたのではなく、知らなくて答えられない問題だったのであきらめはつく。
 迷って合っていたのが2問で、あとの95問は確信を持って答えた。
 100点取れば勝ちと思ったけど取れなかったのでやっぱり負けだ。
 来年は壱級を受験する。もちろんやるからには100点を狙っていく。



更新お休み

 今日は神社検定(神道文化検定)の弐級の試験だったため、更新はお休み。
 明日解答の発表があるので、結果は明日報告します。
 やっぱり100点って難しいんだとあらためて思った。

 明日から壱級に向けての勉強を始めるか。



八ツ屋村の日神・月神

 二周目の直しは、中川区の神明社(八家町)

 初回は何村の神社か分からず、中野外新田の神社かと思っていたので内容に誤りが多かった。
 なので、今回、全面的に書き直した。
 ここは八ツ屋村の神社だっただろうと思う。『尾張志』がいうところの日神・月神だったのではないか。
 中川区が史跡紹介で書いている熱田神と八劔神を祀るというのは信じない。だとしたら祭神がアマテラスになっていることの説明がつかない。

 明日は更新は休みで、来週からもう少しペースを上げられそうだ。



もう一周はない

 二周目の直しは、中川区の神明社(中野新町)

 もともと中川区はまったくといっていいほど土地勘のないところで、神社めぐりをする中で多少なりとも地理を把握できるようになって喜んでいたのだけど、2年も経つと忘れてしまったことも多く、二周目の直しの中で記憶を蘇らせている。
 中野新町などは自分の中の感覚では右下ということになるのだけど、このあたりはあまり印象に残っていない。けっこう神社が集まっているエリアで、移動距離が短いとかえって位置の把握ができないということもある。
 二周目の全神社めぐりはないので、残った記憶でなんとかするしかない。



2年前にはもう戻れない

 二周目の直しは、中川区の神明社(明徳町)

 初回はどこにあったかはっきりしなかったのだけど、おそらく熱田新田十八番割の氏神だった神明社でいいと思う。旧地も本編に書いた場所だったのではないだろうか。
 そのことを突き止めるのに手間取って直しはこれだけで力尽きてしまった。
 一周目のときは気持ちの充実度もあってほとんど毎日新規に書いていた。今ではちょっと信じられないくらいだ。
 直しが終わったら市外編も少しやりたいと思っているのだけど、もう2年前のようには戻れない。

ぼんやり蘇る記憶

 二周目の直しは、中川区の八劔社(十一番)知立社(小碓)

 中川区の神社はだいぶ忘れてしまっていて、二周目の直しをしながらそういえばこんなだったかなとぼんやり記憶が蘇る。
 八剱町の八劔社などは一度行っているのに二度行って気づかず、帰ってきてから前回撮った写真を見てやっと思い出したくらいだ。
 印象的な神社も何社かあったのだけど、全体としての個性や傾向となるとすぐには説明できない。
 直しが終わったら、区の総括をしないといけない。これはどうしてもやっておかないといけないことのひとつだ。

少しでも上積みを

 二周目の直しは、中川区の八劔社(八剱町)

 一周目のときは中野外新田の神社とは思わず、江戸時代の書にはないと書いていたけど、これは中野外新田の八劔社で間違いない。
 ただ、熱田社から熱田大神を勧請して祀ったのにどうして途中で八劔社になってしまったのかは分からずじまいだった。明治になってそうなったのなら分からないでもないけど江戸時代のどこかでそうなったのは何故だったのか。

 神社のことについてはほとんど分からないのが実際のところなのだけど、だからといって分かろうとする努力をしなければ永遠に分からないままなので、なんとか手がかりを見つけて少しでも分かるようになりたいと思っている。すでに分かっていることは誰かがどこかに書いている。わずかでもそれに上積みできれば、このサイトにもいくらかの価値はあるということになる。

 リンク集の【主な神社】を追加した。

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