古い神明社と新しい神明社

 今日の1ページは中川区高畑の神明社
 中川区に神明社が多いのは、伊勢の神宮の荘園があったからというのもあるのだろうけど、それだけではない。新田開発にともなってあらたに氏神として勧請した神明社も少なくないと思われる。
 だから、中川区の神明社は意外と分かりづらい。古い神明社と比較的新しい神明社とに分けられるという言い方ができるかもしれない。
 高畑の神明社は何とも言えない。かなり古い可能性もあるし、江戸時代中期以降かもしれない。その中間ということもあり得る。
 思いがけないところで荒子観音が絡んでくる。

 中川区はどこも埋め立て地で新しい土地と思っていたけど、そんなに単純ではない。神宮の荘園時代から江戸時代にかけての歴史があり、それ以前までさかのぼる。
 遺跡などの話が出てこないところをみると、弥生時代は人が暮らしていなかったのだろうか。そういえば古墳もなさそうだ。
 それだけ海の底だった時代が長かったということか。
 中川区の土地の歴史についてももう少し勉強する必要がある。

なんとなく気になる万町白山社

 今日の1ページは中川区万町の白山社
 狭い敷地に取り残されたなんでもないような町の神社なのだけど、なんとなく雰囲気があった。
 調べてもよく分からなかったのだけど、荒子観音がこのあたりにあったらしいという話を知ったとき、もしかしてという思いが浮かんだ。その勘は外れているかもしれないけど、当たっているかもしれない。

 白山社は一筋縄ではいかないところがあって、本家の白山信仰が多様で、地方の白山社もその影響を強く受けているので、理解するのは簡単じゃない。
 どうして白山権現とククリヒメが同一視されるようになったのかもよく分からない。
 部落問題と絡めて語られることもあり、そうじゃないんだという反論もあり、そのあたりの事情もなかなか複雑なようだ。

 この白山社に関しては個人的に好きというか気になる神社だ。
 何に反応して自分がそう感じるのかは分からない。ただ、そのなんとなくというやつはけっこう当てになる。

神明社にもいろいろ

 今日の1ページは中川区万町の神明社
 なんというか神明社らしい神明社だ。特徴のある神社ではないけど神明社の特徴を持つ神社だ。町の神明社ってこうだよねと思わせる、ある種の説得力がある。
 ザ・神明社と呼んでもいいかもしれない。
 1637年再建ならけっこう古いかもしれない。どこまでさかのぼれるかはちょっと分からない。戦国時代に神明社を建てるだろうかと考えると、江戸初期か、もしくは室町以前か。
 中川区の広い範囲に伊勢の神宮の荘園があったことを考えると、このエリアの神明社は思いがけず古い可能性がある。

 神社サイトを作るための神社めぐりをするまでは、神明社はあまり面白くないというイメージを抱いていた。
 しかし、実際に多くの神明社を回ってみると、神明社にもそれぞれ個性があることを知った。興味深い神明社があり、そうでない神明社があるのも、他の神社と同じだ。
 神明社だからいいとか悪いとかという話ではない。

神社はバトン

 今日の1ページは中川区八田の秋葉社
 住宅地が先か、神社が先か。
 住宅事情に合わせて神社を建て直したのか、神社をよけるように住宅が建ち並んだのか。
 ここの場合、どちらともいえないロケーションにある。
 地図を見ても細い道が入り組んでいて、きちんと東西南北に通っていない。曲がりくねったり折れたりして、ちょっとした無駄スペースができて、そこに神社が収まっている。いい場所見つけたね、といった感じに。
 土地の有効利用と神社は必ずしも矛盾するものではない。現代には現代の神社事情がある。昔のようにはいかない。
 大事なのは規模じゃないし、格好でもない。とにかく生き延びることなのだ。
 神社も一度消えたらまずは戻らない。一昔前なら復活もあり得たけど、今はもう厳しい。
 数百年積み重ねた歴史も、一日で消えてしまう。小さな神社などは人力でも壊せるくらいだ。
 神社の歴史の何がそんなに大事なのかと人は問うかもしれない。神社は人がつないできたバトンのようなものだ。私たちの世代は過去からのバトンを受け取り、未来へと受け渡す使命がある。そんなバトンにどれほどの価値があるものかと言ってしまえばそれまでなのだけど、理屈抜きに渡せるものなら渡すべきだと思うのだ。
 そのことにどんな意味があるかは未来の人が決めることで、私たちが今決めることではない。
 神がいるとかいないとかと、神社が必要かどうかはまた別の話だ。

記憶が薄れがち

 今日の1ページは中川区の柳島神社
 苦手な町名神社がまたもや登場。中川区でも出会うことがある。
 柳島町の町名の由来は調べても分からなかった。これが分かると手がかりになりそうなのだけど。
 神明社や八幡社といったメジャー系列系神社ではない独立系の神社に出会うとちょっと嬉しいのだけど、それが町名神社と分かるとがっかりする。
 これは神社サイト作りをしている私だけの独特の感覚なのだろうけど、もしかすると同じようなことを感じている人もいるかもしれない。

 中川区がまた流れに乗ったので、このまま巡った順番に登録していくことにしよう。
 取りこぼしたところを別の日に回っているので、必ずしもエリアごとにはなっていない。
 回った順番で辿っていかないと記憶が蘇られない。6月のことだったりするので、だいぶ記憶も薄らいできている。
 自分で撮った写真を見て、こんなところ行ったかなぁとか思うありさまなのだった。

中川区について知れたこと

 今日の1ページは中川区笈瀬町の神明社
 笈瀬は御伊勢から来ているというのが定説のように言われているけど、実は違うかもしれない。
 負瀬や老瀬と表記した例もあるというから、瀬にまつわる地名という可能性もある。
 笈瀬町の神明社については、本体についての情報がなく、ほとんど分からなかった。
 これが露橋村の神明社ではないとすれば、他の村の神明社だったのだろうか。
 明治以降の創建というのはちょっと考えづらい。

 中川区に入ると村域がすごく気になる。ここは何村だったのだろうと。
 何村だったか分かればそれが手がかりになるし、村が分からないと手がかりを見失いがちになる。
 中川区の地理と村域について少しずつ把握できてきているけど、まだまだ完全にはほど遠い。
 それでも、神社サイトを作らなければ中川区の地理などほとんど知らないまま一生を終えていただろうから、それを少しでも知ることができたのは喜ばしいことだ。
 神社を巡ることは、名古屋の地理と歴史を知ることにつながる。これが今後別の展開でも役立ちそうな気がしている。

熱田はひと区切りで中川区を再開

 今日の更新は2ページ。熱田区西野町の熱田社と中川区露橋の津島社
 どちらの神社も名前以外に分かることはほとんどなかった。残念ではあるけど、ここで引っかかっているわけにはいかないので先へ進む。

 熱田区はこれでひと区切りで、熱田神宮関連を残すだけとなった。境外社の松后社だけはやっておきたいのだけど、熱田神宮の境内社はどうするか考え中。八剣宮はやらないといけないとして、それ以外の式内社とされる境内社を独立させるべきかどうか迷っている。
 いずれにしても、とりあえず後回しにする。

 この後はもう一度中川区に戻ろうと思う。
 中川区はまだだいぶ残していて終わりは見えない。回っていないところもまだ10社くらいある。
 サイトの完成予定を今年いっぱいから来年の春までと大きく延ばしたので、もう焦らないことにした。これくらい期間に余裕を持たせれば気持ちの余裕も生まれるというものだ。
 ただし、無理に引き延ばすわけではないので、怠けずに続けないといけない。

熱田区のまだらな歴史模様

 今日の更新は2ページ。熱田区の古新神社神野神社
 熱田区は町名神社が好きなんだろうか。たまたまにしては多すぎる。
 そのどれもがよく分からない神社となってしまっている。単に偶然が重なっただけとも思えないのだけどどうなんだろう。
 熱田区の村域も分かりづらい。通常の村に加えて、干拓地の新田と熱田神領があって、その境界線がどこにあったのかを知ることは難しい。
 熱田神宮周辺は、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡があり、古い熱田社があって、江戸時代の宿場町としての歴史がある。
 熱田区というのは非常に多様性を持った地区で、幅広い年代の歴史がまだらになっているという、名古屋の中で最も特殊な場所といえる。その分、理解するのが難しい。
 熱田神宮や関連神社の歴史だけが熱田の歴史というわけではない。
 サイトを始めるまでは、熱田のことは何も知らないも同然だったと今では思う。

橋渡しの役割

 今日の1ページは熱田区切戸町の斎宮社
 今は熱田区にあるけど、中川区の牛立の神社と考えるべきだ。
 牛立の八幡社・天王社との関係はどうだったのだろう。成り立ちは別でも、どこかで融合していたことがあったんじゃないかと思う。
 八幡社・天王社の祭りについても、起源などがもう少し分かるといいのだけど。

 なんとなく異質の感触がある神社というのがあって、ここもちょっとそれを感じた。普通じゃないなという感覚だ。
 特に根拠があるわけでもなく、特別感じる能力があるわけでもないのだけど、私が感じ取るのか、向こうが発しているのか、ここは何かあると思うことがある。
 そのエネルギーや電波といったものの内容はそれぞれなのだろうけど、しっかり感じ取ることができないことを申し訳なく思ったりもする。
 私ができることは、こうしてこのサイトで神社を紹介して、他の人との橋渡しをすることくらいだ。それならできる。

熱田区はよく分からない神社が多い

 今日の1ページは熱田区の寶田社
 謎があるというのではないのだけど、なんなく分かりづらい神社だ。何故そんなことになったのだろうと思う。
 稲荷社ではないのに保食神を祀ったり、鳥居が神明鳥居だったり、社殿が変わったコンクリート造だったりで、なんというか統一感がない。神社の方向性が見えないとでも言おうか。
 寶田の由来もよく分からない。昔はそういう地名があったのだろうか。

 熱田区の神社はちょっと変わったところが多い。熱田神宮とは直接関係ない神社が特にそうだ。
 何故だかよく分からないのだけど、熱田神宮関連以外の神社に関する情報がやけに少ないのだ。町名がつく神社がとりわけそうで、調べても名前以外何も分からない神社がけっこうある。他の区はそこまでではない。
 熱田区の神社の特徴は何かと訊かれたら、よく分からない神社が多いと答える。

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