総括するにはまだ早い

 今日の1ページは港区秋葉の秋葉社
 小賀須の秋葉社もけっこう大きいけど、秋葉の秋葉社はそれよりずっと立派な神社だ。規模でいうと名古屋一の秋葉社かもしれない。指定村社だった秋葉社はたぶんここだけだと思う。
 それにしては創建のいきさつが一切分からないというのは気になる。もともとは小さな祠程度だったのが、どこかで社殿を持つ秋葉社に成長したということだろうか。何かきっかけがあったのか、少しずつ大きくなっていったのか。

 区別の総まとめは必ずやらないといけないことだけど、神社別の総括もしておくべきだろう。
 名古屋の神社を全部回った上で、名古屋市内の神社を俯瞰してみたとき、初めて見えてくる傾向といったものがあるはずで、どこかが欠けると、その見立ては不完全なものになってしまう。
 もう8割方回ってある程度は見えたつもりでいるけど、緑区の大部分が自分の中で白地図状態なので、まだ総括するには早い。緑区も独特なので、そこを抜きに名古屋の神社は語れない。

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どうして神明造にしてしまうのだろう

 今日の1ページは港区知多の山神社
 港区で山神社はちょっと珍しいなと思ったのだけど、歴史を知ってなるほどそういうことかと納得した。大三島では海の神でもあるから、海を陸地化した港区で祀ることは不自然ではないのだけど。
 それにしても、山神社でありながら神明鳥居と神明造はちょっとどうなんだろうと思う。やっぱりそれは不自然に思える。港区は空襲で焼けているし、伊勢湾台風で被害を受けているから建て直しているところが多いのだけど、どうして神明造にしてしまったのだろう。流造は神明造よりも金額が高いのだろうか。
 鳥居に関しては神明鳥居も明神鳥居もそんなに変わらないと思うのだけど。

 港区の残りは14社になった。順調にいけば8月中に終わる。
 しかし、緑区の残りを確認してみたら30社以上あることが判明した。どう考えても9月中には終わらない。
 その他の区もちょくちょく取りこぼしていて、あわせると20社くらいはありそうだ。
 ということは10月いっぱいかかるということではないのか?
 なんとか二本立ての日を増やしていくしかない。
 なんとなくもうすぐ終わりそうな気がしていたのは気のせいだった。

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鬼頭景義と國常立命の関係は?

 今日の1ページは港区七反野の神明社
 東福田新田は江戸期の神社の顔ぶれと現在の神社が一致しないという問題があるのだけど、それに加えて鬼頭景義と國常立命問題というものも浮上してきた。
 何故、東福田新田でだけ國常立命がもてはやされたのか。鬼頭景義によるものだったのか違うのか。國常立命を祀っている神明社は本当に最初から神明社を称していたのかという点も気になる。

 そもそも新田村の村人達は日本神話に登場する國常立命なる神の存在を知っていたのだろうか。知っていたらとしたら、どんな存在として捉えていたのだろう。
 気持ちの部分は記録に残らないから想像するしかないのだけど、彼らが國常立命について何を思っていたかなんてことは想像がつかない。
 江戸期の農民達が何も知らない無知だったと考えるのは間違っている。我々が思う以上に多くのことを知っていたはずで、神社や神についても現代人よりよほど知識があったのではないかと思う。特に神社に関しては生涯を通じてつき合っていくものだから、私たちのように無関心ではいられないし、関心を持てば必然的に多くを知ることになる。本は読まなくても口伝えというのは侮れない。江戸時代の人たちから見れば今の私たちの方がよほど無知に映るだろう。
 知識にしても能力にしても、人が失ってしまったものは少なくない。

 國常立命については今後も検討していかなければいけない対象だ。
 天之御中主神が天の守り神だとすれば、國常立命は地上の守り神と考えられたのだろうか。
 もしかしたら江戸期の人たちにとって國常立命は身近な存在だったのかもしれない。

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國常立命の今と昔

 今日の1ページは港区春田野の神明社
 港区に二社ある郷社のうちの一社。もう一社は名古屋港総鎮守の築地神社だから、西エリアの代表神社がこの春田野の神明社ということになる。
 伊勢の神宮から勧請して國常立命を祀るなんてことが本当にあったのだろうかと疑ったのだけど、七反野の神明社も祭神は國常立命で、そこは福田新田の総鎮守的な神社で、福田新田開発者の鬼頭景義が祀ったというから、どうやら本当のようだ。
 このことでいろいろと認識を改めないといけないことになった。伊勢の神宮のおそらく外宮からだと思うのだけど、江戸時代前期の人間にとって外宮の神は國常立命だったということなのだろうか。それとも鬼頭景義の個人的な信仰心から来ているのか。
 國常立命など、現代では一部の人間を除いて一般的には馴染みのない神となっている。伊勢の外宮で國常立命を祀っているとはいっていないし、春田野や七反野の神明社の氏子たちでさえあまり意識していないのではないかと思う。
 私も國常立命について特にこれといったイメージは持っていない。
 時代の移り変わりの中で自然消滅的に消えていったのか、それとも何らかの勢力によって消された神なのか。
 今後はもう少し意識していくことにしたい。

英霊が多すぎる

 今日の1ページは港区の南陽神社

 アインシュタインは言った。
「第三次世界大戦がどのように行われるかは私にはわからない。だが、第四次世界大戦が起こるとすれば、その時に人類が用いる武器は石とこん棒だろう」

 日本に限っていえば、争いがなかったのは縄文時代までで、弥生時代以降常に争いが起きているという言い方ができる。土地に縛られ、財産を持ったことで争いの種が生まれた。
 しかし、今更縄文時代には戻れないから進んだ先で新しい平和の形を見つけ出すしかない。それはぞっとするような不気味な世界かもしれない。
 戦争は必然かもしれないけれど仕方がないでは済まされないことだ。始めたらもう負けで、勝ちも負けもなく等しく負けたということだ。最初に勝たないという選択肢をとるより他に道はない。
 次の戦いの相手は人間ではなく異星人かAIかもしれない。そのとき人類は勝たないという選択肢を選ぶことができるだろうか。
 勝ち続けることだけが正義とは思わないけど負けることが正しいのかどうかは分からない。
 何にしても、これ以上、英霊などというものを増やしてはいけない。いくら言葉を飾ったところで彼らは犠牲者に違いないのだから。

蟹なんて昔は普通にいた

 今日の1ページは港区東蟹田の神明社
 蟹田というから蟹のいる田んぼが由来だろうと思いがちだけど、蟹なんて昔はどこにでも当たり前にいたから、それが地名になるとは思えない。思えないけどまったくあり得ないと断言はできない。特別蟹のたくさんいたところだったかもしれない。
 まあ、干田から転じたという説が正しそうではある。

 東福田新田の神社がよく分からない状態が続いている。『尾張志』、『尾張徇行記』に載っている神社と今ある神社がつながらない。この分では最後まで分からずじまいになりそうだ。
 西福田新田に入ると何か分かることがあるだろうか。そこにちょっと期待している。

なんとなくの引っかかり

 今日の1ページは港区八百島の稲荷社
 集落の氏神として稲荷社を祀るのはあることだけど、八百島の場合はそうでなかった可能性も考えられる。
『尾張志』の東福田新田に稲荷社が載っていないこともそうだけど、祭神がウケモチ(保食神)になっていることも引っかかる。そして何より神社の持つ空気感がおよそ稲荷社らしくない。
 明治以降は稲荷社だっただろうから、稲荷社暦はもう150年にもなるので充分稲荷社なんだろうけど、いまだ稲荷社であることがどこかしっくりきていないような感じもする。
 こういったちょっと引っかかりや違和感というのを大切にしたいと思っていて、そこを流してしまうと真相にたどり着けないままで終わってしまう気がする。
 最初から最後までうちは稲荷社だと、八百島の稲荷社は私に訴えているかもしれないけど。

 今日で港区を回り終えた。小さな社などの見落としがあるかもしれないけど、主要なところはすべて回ったと思う。仮遷座中だった九番町の素盞嗚神社も再訪して、新しくなった社を拝んできた。
 このまま港区を続けて最後まで終わらせてしまいたい。8月いっぱいでやれると思う。
 メインどころでまだ回っていないのは緑区だけとなった。緑区はまだ半分以上残している。それが終わればいよいよゴールは見えてくる。夏が行くまでに終えることができるだろうか。

本当であって欲しいけど

 今日の1ページは港区船頭場の白山社
 荒子観音の鎮守だったのが中島新田村を経て江戸時代中期に東福田新田にやって来たというのは本当だろうか。半信半疑ではあるのだけど、本当ならいい話だ。事実であって欲しいとも思う。もし裏付ける何かがあるのであれば、港区は大いに宣伝していいくらいだ。
 それにしても、『尾張志』や『尾張徇行記』にこの白山社が載っていないのは気になる。ここに載っていたらそのまま信じられたのだけど。

 東福田新田の集落についてはある程度掴めたのだけど、江戸期の神社と現在の神社が結びつかないままだ。ミッシングリンクともいうべき空白がある。熱田大明神二社は何神社になったのか。廃社か合祀になったのか名前を変えたのか。
 この先も東福田新田の神社がもう少し続く。

東福田新田神社不一致問題

 今日の1ページは港区小賀須の秋葉社
 ちょっとユニークな秋葉社だ。秋葉社らしくない。神明社といわれた方が違和感がない。もしくは熱田社か。
 東福田新田にあった江戸期の神社と現在の東福田にある神社が上手く結びつかない。熱田大明神二社はどれになったのだろう。
 この東福田新田神社不一致問題は今後も尾を引くことになる。

 小賀須の地名の由来も気になるといえば気になる。
 須賀でも賀須でも同じようなものかと思ったら、江戸時代は子ケ須と表記したというのであれば意味が違ってくる。子ケ須ならそれはそれでちょっと意味が分からない。子が須とは? コ-ガスではなく、コガ-スが元々だろうか。

 港区はここまで順調に来ているけど、やはりそう簡単に終わらせてはくれない。予定でいくと残り21社。もうけっこうやったつもりがまだそんなに残っているんだと思う。このうち半数近くはまだこれから回らないといけない。
 でも順調にいけば8月中には終わる。

好きな神社に理由がいるかいらないか

 今日の1ページは港区東茶屋の神明社
 あ、この神社好きだなと思うことがたまにあって、ここはそんな神社のひとつだった。
 好きな理由は神社によっていろいろで、説明できることもあればできないこともある。理屈じゃないといえばそうだし、でも分析できるようにも思う。漠然と言うならば、境内の空気感ということになるだろうか。雰囲気といってしまうととりとめもない。

 歴史的には少し疑問点が残った。本当に八幡社も神明社も茶屋長意の創建なんだろうか。八幡大菩薩だけでは足りず、アマテラスも祀ることにしたのだろうか。
 1663年当時の人たちにとって伊勢の神宮とはどんな存在だったのだろう。身近な存在で望めば簡単に分霊できる庶民の味方といった神社になっていたのだろうか。

 気づけば8月も一週目が終わってどんどん日が過ぎていっている。こんな調子で本当に9月中に終わるのか。9月に終わるという実感がまだ全然持てない。まだ2ヶ月近く先だから当然か。
 一週目を完走したらすぐに二週目の直しに入らないといけないので、とりあえずの完成まで今年いっぱいはかかりそうだ。今年も残り5ヶ月を切っていると思うと、ちょっとぞっとする。

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