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八神神社


元は秋葉社だった?



八神神社

読み方やがみ-じんじゃ
所在地名古屋市中川区八神町1丁目52 地図
創建年不明
旧社格・東急等無格社・十五等級
祭神迦具土神(かぐつちのかみ)
アクセスJR東海道本線「尾頭橋駅」から徒歩約30分
駐車場 なし
その他例祭 10月7日
オススメ度

 八神神社という名前にちょっと期待していったのだけど、八神は町名だと知ってがっかりしてしまった。町名神社はその実体が分かりづらい。
 しかし、八神町だから八神神社ではなく、八神神社があったから八神町になったのだと『なごやの町名』は書いている。なるほど、そういうパターンもある。
 八神町は昭和35年(1960年)に野立町(のだて)と八熊町(やぐま)の各一部より成立した。
 野立は中野村の野と牛立村(うしだてむら)の立を合わせてつけられた名前だ。
 八熊は五女子村の八剱社(五女子町)の八と二女子村の熊野社(二女子町)の熊を合わせて名づけられた。



 当初、この神社の正体が分からなかったのだけど、その後、八神町1丁目52の旧住所が野立町字新落山852番地ということが判明して大きな手がかりになった。その住所でいうと、『愛知縣神社名鑑』にある秋葉社のことだ。そこにはこう書かれている。
「創建は明かではない。明治6年、据置公許となる。昭和4年社殿を改築した」
 しかし、ちょっと信じられない部分もある。
『愛知縣神社名鑑』は1992年(平成4年)に発行されたもので、八神町の住所変更は昭和35年に行われている。にもかかわらず旧住所と旧社名で載せているのはどういうことか。かなり古い資料をもとに編集されているということだろうけど、それにしても昭和35年より前の資料を使うだろうかという疑問を抱く。
 そうなると、『なごやの町名』がいう八神町の町名は八神神社から来ているというのが間違いということだろうか。
 あと、本殿は板宮造とあるのだけど、現状は神明造だ。中央大きめの社が神明造で、左右の小さな社が板宮造になっている。この中央が秋葉社とはちょっと考えづらい。
 左右のどちらかが秋葉社だろうか。
 そもそも、秋葉社を八神神社と改名する必然性もよく分からないから、近くにあった別の社を秋葉社に移して社名を八神神社とした可能性は考えられる。
 ただ、その場合でも八神神社の社名の由来が分からない。
『寛文村々覚書』(1670年頃)、『尾張徇行記』(1822年)、『尾張志』(1844年)にこの神社に相当するものは見つけられなかった。



 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、ここは東の牛立村の村域のようだ。今の八神町一帯は田んぼではなく空白地になっている。雑木林か何かだっただろうか。その中を村と村をつなぐ道が通っている。
 西を流れていた中川を運河化して中川運河とした昭和5年(1930年)以降に区画整理が行われ、戦後の昭和40年代に住宅地となった。
 そういった流れを考えると、この場所に神社が建てられたのは早くても昭和以降ということなるのではないかと思う。



 社名の八神は文字通り八柱の神を意味しているのか、単純に多いという意味で八とつけたのか、それ以外の由来があるのか。
 八から連想するものとしては、八劔社や八幡社、八雲などがある。
 神明鳥居と神明造だからといって神明社系とは限らない。名古屋の場合、特に戦後に再建されたものは古くからの様式にのっとっていない神社が多いので建築様式は当てにはならない。
 千木が内削で鰹木五本となっているのも女神なのか男神なのか判断がつかない。



 この神社を元・秋葉社としていいかどうかは確信が持てない。たぶんそうだろうとは思うけど、単純な社名変更ではないような気がする。
 八神町の町名が成立した昭和35年がひとつ鍵を握っている。古くからこのあたりに住んでいる方なら事情を知っているかもしれない。




作成日 2017.12.28(最終更新日 2019.7.13)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

いわくありげな名前だけど正体不明の八神神社

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