神明社(春田)

けっこう古い神明社

春田神明社

読み方 しんめい-しゃ(はるだ)
所在地 名古屋市中川区春田五丁目215番 地図
創建年 不明
社格等 村社・十五等級
祭神

天照皇大御神(あまてらすすめおおかみ)

アクセス

・JR関西本線「春田駅」から徒歩約9分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 かつての春田村(はるだむら)にある神社のひとつ。
 北に熱田社、南に太神社、中央がこの神明社になる。
 現在の春田地区は、上ノ割、中ノ割、下ノ割の3つの地区に分かれているとのことだ。
 それぞれが所蔵していたカグラ(神楽)は、神明社のものが空襲で焼けてしまい、上ノ割と下ノ割のものは現存するという。

 江戸時代前期の『寛文村々覚書』では、戸田荘春田村の項に「神明 大明神」とある。
 江戸後期の『尾張志』は、「熱田ノ社 神明ノ社」となっている。
 神明社はいいとして、大明神というのは熱田社のことなのか太神社のことなのか。『寛文村々覚書』は大明神として具体的な名称が書かれていないものが多いのだけど、それにしても二社しか載っていないのはどういうことだろう。

『愛知縣神社名鑑』は神明社についての『尾張徇行記』(江戸後期)の記述を紹介している。
「神明社三畝二十歩前々除地、応永二年(1395年)の棟札を初め十数枚蔵す」
 1395年といえば室町時代前中期に当たる。南北朝時代が終わったのが1392年だから、そのすぐ後くらいだ。
 その年に修繕した棟札があるのなら創建は更にさかのぼることになる。
 伊勢の神宮からアマテラスを勧請して祀る神明社が全国で建てられるようになったのは鎌倉時代以降とされる。それでも、室町時代前期の創建となればかなり早い時期といえる。

 春田の地名は、開墾を意味する墾(はり/はる)田、治田(はるだ)から転じたものと考えられている。
 この辺り一帯は富田荘(とみたのしょう)と呼ばれる広大な荘園があった場所で、平安時代中期の11世紀には成立したと考えられている。近衛家などが所有したのち、鎌倉の円覚寺に移った。
 戸田(とだ)とも呼ばれたということで、現在も春田の隣に戸田という地名が残っている。
 このことを考えると、荘園内に伊勢の神宮から勧請して神明社が建てられたというのは充分考えられる。ひょっとすると室町以前という可能性もある。

「昭和11年社殿を改築した」と『愛知縣神社名鑑』にある。現在のものがそうであるなら、カグラだけが空襲で焼けて社殿は焼けなかったということだろうか。
 本殿は半格子の塀で囲われている。正面に入り口扉があって屋根付きの板塀でぐるりと本殿を囲む様式を何と呼ぶのだろう。本殿上部を屋根で覆わなくても覆殿(おおいでん)に当たるのだろうか。
 昔の尾張造の場合、本殿前に祭文殿(さいもんでん)があって、左右に回廊(かいろう)があり、回廊もしくは瑞垣(みずがき)で周囲を囲むというのが基本スタイルだった。
 現在、尾張造が伝わっているのは、津島神社真清田神社など、ごく一部に限られる。しかしそれは『尾張名所図会』で描かれている江戸時代の神社のスタイルとは違っている。かつては拝殿と本殿(祭文殿)までの距離が遠く、渡殿は廊下ではなく砂利が敷かれていたらしい。
 この春田神明社のような建築様式はたまにあるのだけど、それほど多くはない。名古屋の北東部にはあまりなく、南西部の神社で何度か見た。
 今度、更に意識して見ていく必要がありそうだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

春田神明社はわりと古い神明社

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