八所社

八所明神さん、あなたは誰ですか?

八所社

読み方 はっしょ-しゃ
所在地 名古屋市中村区八社1丁目234 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 無格社・十五等級
祭神 天神七代(てんじんしちだい)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
アクセス 地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約33分
駐車場 なし
その他 例祭 旧暦1月18日・特殊神事 御劔社祭 旧暦8月7日
オススメ度

 入り口の社号標は「八社大明神」となっている。神社本庁への登録名は八所社だから、これが正式名だろう。
 このあたりの八社という町名はこの神社から来ているもので、町名から神社名が名付けられたわけではない。
 八社の町名は昭和55年(1980年)に岩塚町と横井町の各一部より成立した。
 八所社があるところは郷中と呼ばれていた。
 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、神社のある場所が岩塚村の集落の南端だったことが分かる。ここから南は田んぼが広がっていたようだ。

『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「創建は明かではない。『尾張徇行記』に再建明暦三酉年(1657)とあり、古来岩塚町字下小路の守護神として崇敬あつく境内社の劔社あり、明治6年、据置公許となる」

『寛文村々覚書』(1670年頃)の岩塚村の項を見ると、「大明神 八幡 明神 八劔宮 天王 神明」の6社あったことが分かる。
 大明神は七所社、八幡は八幡社(岩塚)、八劔宮は八劔社(剣町)、天王は津島社(岩塚)、神明社は神明社(岩塚)だろうから、余った明神がこの八所社のことだろう。

『尾張徇行記』(1822年)の該当部分はこうなっている。
「岩塚村祠官吉田内記書上帳ニ、八社大明神社内五畝外ニ一反四畝前々除、再建ハ明暦三酉年也」
 前々除とあるから1608年の備前検地以前からあったということだ。
 再建した年が1657年(明暦3年)ということ以外は分からない。

『尾張志』(1844年)は「八社ノ社 氏神の社より南にあり末社に劔社あり」と書いている。

 八社、八所は何を意味しているのか。
 岩塚村の七所社は『延喜式』神名帳(972年)の御田神社のことともいわれ、熱田神宮(web)とのゆかりが深い。
 ひょっとすると八社は七社+1社の八社のことではないか。
『尾張志』にもあるように、江戸時代から本社とは別に劔社があった。本社で七柱の神を祀っていたとしたら七柱+1柱で8柱になる。
 現在の祭神は天神七代と日本武尊になっている。天神七代はもともと七所社と同じ熱田の七神を祀っていたかもしれない。
 七所社の重要な神事である御田祭(きねこさ祭)が旧暦1月17日に行われているのに対して八所社の例祭が翌日の旧暦1月18日に行われるのも両社の関係を思わせる。例祭を1月に行っている神社はめったになく、旧暦にこだわっているのも必ず理由があるはずだ。
 7社+1社ではなくもともと八社明神だったとすれば、昭和区にある御器所八幡宮との関係が考えられる。御器所八幡宮は江戸時代まで八所明神と呼ばれていた。御器所の地名は熱田社に祭祀で使う土器を納めていたのが由来という説があり、熱田社との関係が深い。
 御器所八幡宮は『延喜式』神名帳の愛智郡物部神社だとする説もあり、そうなると物部系の尾張氏が八社明神にも関わっていた可能性が出てくる。
 それにしてもいつから天神七代を祀るなんてことになったのだろう。

 天神七代は神世七代(かみのよななよ)ともいい、日本神話で天地開びゃくのときに現れたとされる神の総称だ。
『古事記』では、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、豊雲野神(とよぐもぬのかみ)、宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)、角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)、意富斗能地神(おおとのじのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)、淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)となっている。
『日本書紀』では
国常立尊(くにのとこたちのみこと)、国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)、泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)、大戸之道尊(おおとのじのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)、面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)となっている。
 いずれにしても、村の神社に祀る対象としてはふさわしくない祭神だ。
 ただ、岩塚村の少し北の稲葉地村には十二所社というのがあり、天神七代と地神五代を祀っていたというから、天神七代を祀る信仰が江戸時代にはあったのかもしれない。

 ついでに書いておくと、愛知県小牧市にも八所社があり、『延喜式』神名帳の乎江神社の論社のひとつとされている。その真偽はともかく、小牧の八所社も古い神社のようだ。

 境内全体は不思議な晒され感がある。囲われていない広場の中途半端な位置に鳥居や社殿が東向きに配置されている。かつてはどんな姿をした神社だったのか、上手く想像できない。
 入り口の社号標から拝殿までは50メートル以上あるので、奥行きはある。
 南に隣接する薬師寺はこの神社とは関係がなさそうだ。
 境内の空気感に古式ゆかしさみたいなものは感じられない。ただ、新しいかというとそうとも言えない。
 うーん、なんだろうな、ここ、としばらく佇んで考えてしまった。
 社名の由来といい、祭神といい、社殿の様式といい、よく分からない神社だ。
 参拝した後、何とも言えない消化不良の感じが残ることがあるけど、私にとってここはそういう神社のひとつだ。

 

作成日 2017.6.9(最終更新日 2019.4.30)

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