MENU

神明社(西福田4)


江戸時代創建とは思うけど



西福田4神明社

読み方しんめい-しゃ(にしふくた4)
所在地名古屋市港区西福田4丁目1309 地図
創建年不明
旧社格・等級等無格社・十四等級
祭神天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
アクセス近鉄名古屋線「近鉄蟹江駅」から徒歩約51分
新西福橋バス停留所」から徒歩約3分
駐車場 なし
その他例祭 10月8日
オススメ度

 西福田新田の中央南、福田川左岸近くにある神明社。
 このあたりは同じ町内に神明社や熱田社が何社かあるので、何丁目かで区別するしかない。ここは西福田(にしふくた)4丁目の神明社になる。
 通称、下中神明社とも呼ばれている。かつてこのあたりが東之割、西之割、上中之割、下中之割に分かれていて、そのうちの下中之割にあったことから来ている。
 江戸時代は海東分、戸田分、蟹江分という区分だったようだ。



 西福田新田は東福田新田と同時進行で鬼頭景義が1643年(寛永20年)に開発した新田だ。約122町の広さがあった。
 1665年に尾張藩家老の志水甲斐守に給付されたときは川と池ばかりの土地だったため、志水甲斐守は自分で人足を雇って埋め立てをして田畑にした。
 1684年に検地が行われ、東福田新田と西福田新田をあわせて福田新田村となった。
 西を流れる福田川はかつて暴れ川と呼ばれ何度も決壊している。渡しは自分渡しで三文だったという。



 境内の由緒書きによると、明治11年(1879年)に五穀豊穣と村中安全を願って鎮座したとある。
 しかし、『愛知縣神社名鑑』はこう書く。
「創建は明かではない。西寺前の鎮守の神なり。明治6年、据置公許となる。明治11年社殿造営。昭和57年8月13日、社殿を改修した」
 明治6年に据置公許となったというのであれば、創建は江戸時代までさかのぼるということだ。境内の由緒にある明治11年の鎮座というのは、そのときあらためて造営したということだろう。
 社殿が老朽化したので大正2年(1913年)に建て直したという。
 昭和34年の伊勢湾台風ではここも大きな被害を受けたようだ。
 現在の社殿は昭和57年(1982年)に再建されたものだ。



『尾張志』(1844年)の福田新田村の項にはこうある。
「神明ノ社三社 山神ノ社 熱田大明神ノ社二所 六社共に福田新田村にあり」



『尾張徇行記』(1822年)の西福田新田はこうなっている。
「須成村祠官寺西伊豆守書上帳ニ、西福田新田ノ内熱田大明神神明 勧請ノ初ハ寛永十九年也
 大明神二社 勧請ノ初ハ慶安四卯年也
 熱田大明神 勧請ノ初ハ同上(慶安四卯年)
 熱田大明神 勧請ノ初ハ同上(慶安四卯年)
 神明社 勧請ノ初ハ寛永十九年也」



 こちらもどれがどの神社のことをいっているのか判断がつかない。
 寛永19年は1642年で、慶安4年は1651年なので、いずれにしても江戸時代前期だ。
 西福田新田が開発されたのは1643年(寛永20年)なので、開発に先立って神明社を建てたということになるだろうか。 



 西福田4丁目の西隣は寺前町で、西福田4丁目も以前は字寺前という町名だった。
 これは神明社の北にある浄恩寺の門前ということから来ている。
 港区最古とされる真宗大谷派の寺で、1643年(1716年とも)に稲葉地(中村区)の広讃寺から分寺して創建されたとされる。
『尾張志』はこの寺について、
「福田新田にあり本山直末なり愛智郡稲葉地村廣讃寺二男僧長賢創建す年月は詳ならす」と書いている。
 福井県松岡の領主が信長の北国攻めのときに家臣となって大坂城落城の際に戦死し、子孫が名古屋禰宜町で塩屋を営んで財を成して稲葉地の広讃寺を再興した。当主は塩屋利兵衛を名乗り、新田開発にも乗り出し、浄恩寺創建に塩屋利兵衛が関わったとされる。
 所蔵する聖徳太子像はもともとあま市の円周寺にあったもので、ご開帳のときには大勢の見物人が訪れたという。
 境内にあるイブキは名古屋市保存樹に指定されているもので、高さは7メートルと市内最大とされている。伊勢湾台風にも耐えた。



 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)には鳥居マークがない。浄恩寺の卍マークはある。少し下にある○マークは村役場だろうか。
 南にある広めの道は、南の茶屋後新田とを分ける堤防が道路になったものだ。その道沿いには早くから民家が建ち並んでいた様子が見てとれる。北側は細い道沿いに家が散在している。
 1920年(大正9年)の地図から鳥居マークが現れる。
 下中神明社西北の福田川沿いに鳥居マークがある。現在、この場所に神社はない。この鳥居は1984-1987年の地図以降に消える。おそらく、近くに移ったものと思われる。
 西福田新田のこのあたりは戦後すぐまであまり変わらない。
 その後、時代が進むにつれて民家が少しずつ増え、田んぼが減っていった。現在の西福田4丁目は田んぼも少なくなった。



 社殿は白塗り鉄筋コンクリート造で、拝殿・渡殿・覆殿が連結していて、社はその中に納められている。伊勢湾台風の後に再建するとき、今度こそ台風に負けない造りにしようということでこのスタイルになったのだろう。外観からは神明社らしさは感じられない。港区に多い熱田社に似ている。
 港区はあまり神社が合祀されなかったところで、江戸時代創建の神社の多くがそのまま残った。新田村の神社は特にそうで、この神明社もそのうちの一社だ。




作成日 2018.8.22(最終更新日 2019.8.1)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

西福田4神明社は明治創建ではないと思うのだけど

HOME 港区