七尾神社

名古屋第四の天神社

七尾神社拝殿と梅

読み方 ななお-じんじゃ
所在地 名古屋市東区白壁2丁目28番19号 地図
創建年 1504年頃(戦国時代前期)
社格等 村社・十一等級
祭神

菅原道真(すがわらのみちざね)

アクセス

・名鉄瀬戸線「東大手駅」から徒歩約8分
・地下鉄名城線「市役所駅」から徒歩約13分
・駐車場 あり(無料)

webサイト  公式サイト
オススメ度

 正式名は七尾神社。一般的には七尾天神社と呼ばれることが多い。
 名古屋三大天神とされる山田天満宮上野天満宮桜天神社と比べると知名度は低い。四大何々というのは語呂が悪いのか縁起がよくないのか、あまり聞かない。世界四大文明くらいか。
 名古屋城の東大手門から歩いてすぐのところにある。明和高校のグラウンドの脇にこそっと収まるように鎮座しており、同じブロック内にマンションと商事会社が同居している。
 かつてこの場所には、尾張藩附家老・成瀬家の中屋敷があった。
 七尾天神の創建については1500年代初頭にさかのぼる。その頃はまだ名古屋城は建っていない。このあたり一面山林で寂しいところだったようだ。
 そこに俗世を離れて草案を結ぶひとりの修行僧がいた。行基作と伝わる十一面観音像とともに修業の日々を送っていた。
 ある日修行僧が山道を歩いていると、天神池(神社の北、深田公園のあるあたりか/地図)の方から亀がやってきた。見ると甲羅に何に背負っている。
 七つの尾を持つ亀が背負っていたのは束帯(公家の正装)を着けた菅原道真の像で、亀は道真像を木の下の石の上に置くと、その周囲を七周回って姿を消した。
 これはもう道真の魂が祀れといってるに違いないと思った修行僧は、七つの尾を持つ亀を彫り、亀が置いていった道真像を祀る社殿を建てた。それが永世年中(1504年-1520年)のことで、七尾天神の創建をこのときとしている。
 その亀は口に梅の小枝をくわえていたという話もある。突っ込みを入れたいのを我慢してとりあえず話を進める。
 名古屋城築城ののち、その話を伝え聞いた尾張藩初代藩主の徳川義直は、天神社に拝殿を建てるよう命じている。元和年中(1615年-1620年)のことだ。
 この場所に成瀬家が中屋敷を建てることになるのだけど、場所を選んだのが尾張藩だったのか成瀬家が希望したのかは分からない。時代的に天満自在天神信仰が高まっていたということもあり、成瀬家がこの天神を欲しがったのかもしれない。
 天神社を囲むように中屋敷を建て、これを氏神として崇敬したという。

『尾張名所図会』には、「七尾天神」の境内の様子と、「七尾天神出現の図」として背中に道真像を乗せた亀と修行僧の出会いの場面が描かれている。
「七尾天満宮亀尾山永正寺(きびさんえいしょうじ)」として次のように書いている。
「志水の西、成瀬家の中屋敷の内にあり。真言宗、長久寺末。永正年中の建立にして、天満宮の社僧なり。菅神の霊像は、文亀年中七尾ある亀に乗り給ひて、此側なる山林の石上に出現ありしかば、永正改元の頃、社を建てて安置せしよし、当寺縁起に見えたり。本地十一面観音は行基の作、其外霊宝多し。」
『尾張志』にも同じ逸話が載せられている。
 絵に描かれた七尾天神はなかなか立派で、鳥居、拝殿、本殿と並び、境内には書院や庫裏もあり、神仏習合の様子がよく分かる。この頃すでに稲荷社や山神社も境内社としてある。
 江戸時代は桜天神などと同じくらい参拝者が訪れて賑わったのだろう。
 明治24年(1891年)の火事で木像その他の宝物は焼失してしまったとのことで現在には伝わっていない。

 津田正生は『尾張国神社考』の中で、この七尾の天神こそが『延喜式神名帳』の片山神社だという人がいるという話を紹介している。しかし、これはかなり突拍子もない説なので、にわかには信じがたい。

 天満宮の行事のひとつに鷽替え神事(うそかえしんじ)がある。名古屋では桜天神社、山田天満宮、上野天満宮でそれぞれ行われており、七尾天神社でもやっている。
 九州太宰府天満宮が発祥とされ、その起源は古い。
 道真がまだ存命だった902年、悪霊払いの神事を行った際、たくさんの蜂が出て参拝者を差しまくっていたところに鷽(ウソ)が飛んできて蜂を食べ尽くして人々を救ったという話が元になっている。
 これも道真公の人徳に違いないと人々は噂し合い、ウソ(嘘)が真(まこと)になるという嘘変え(鷽替え)神事として定着していったとされる。
  太宰府天満宮では正月七日に行われる他、各神社によって日程にはばらつきがあるものの、たいていは1月に行われている。
 太宰府天満宮では、日が落ちて暗くなった夕方の6時頃、境内に木彫りの鷽を持って集まった参拝者たちが「替えましょ~、替えましょ~」と言い合いながら互いに交換するということをやっているそうだ。
 一般的な神社では、去年買った鷽を神社に納め、新しい鷽を買って、去年の悪い運を今年の新しい運に替えるというパターンが多い。
 ちなみに鷽(ウソ)という鳥は本当にいて、アジアからヨーロッパにかけて広く分布している。日本には冬場に渡り鳥としてやってきて、春になって暖かくなると北へ渡っていく。
 名前の「ウソ」は古語の口笛から来ているとされる。鳴き声はヒーホーやフィーフィーとやや悲しげなのだとか(私は聞いたことがない)。
 灰色の背中と黒い頭、喉のところが朱色なのが特徴だ。
 と、ここまで書いてきておかしな点に気づいた。道真が神事を行った正月7日などという寒い季節に大量の蜂がいるはずもなく、鷽は春になったら繁殖のために北へ渡っていってしまうので蜂が飛ぶ季節に日本にはいない。日本にいる間は、主に木の実や花のつぼみなどを食べている。虫などを食べるのは繁殖期に限るとされている。
 無粋なことを言うようだけど、道真と鷽の話は文字通り、ウソということになる。それでも神事が1000年以上も続いていることからすると、嘘から出た誠というべきか。

 明治5年(1872年)、七尾天神を七尾神社に改め、村社に列す。
 昭和20年(1945年)、空襲により社殿一切を焼失。
 昭和34年(1959年)、社殿復興造営なる。

 現在の七尾天神にも七つの尾を持つ亀像が置かれている。境内の池の中央にいる亀の甲羅に七度水を掛けて願掛けをすると叶うとされている。
 場所柄、明和高校の合格祈願に訪れる受験生は多いかもしれないけど、尾張藩が創設した藩校・明倫堂の流れを汲む名門、明和高校はそんなに甘くない。
 いや、だからこそ道真公の力も借りないと入れないということかもしれない。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

名古屋のもうひとつの天神様

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