松原八幡社

かつては中野、今は松原にある八幡社

松原八幡社

読み方 まつばら-はちまん-しゃ
所在地 中村区松原町4丁目79 地図
創建年 不明
社格等  村社・十一等級
祭神

品陀和気命(ほむだわけのみこと/応神天皇)

アクセス

・地下鉄東山線「本陣駅」から徒歩約11分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 松原町にあるので松原八幡社と呼ばれている。神社庁への登録名は、やはり八幡社だ。
 町名を付けた名称で登録すればいいではないかとも思うのだけど、町名もちょくちょく変わったりするから下手に付けてしまうと後からかえってややこしいことになるということもあるかもしれない。
 昔、ここは中野村だった。だからその頃は、中野の八幡とでも呼ばれていたのだろう。
 松原八幡社について分かっていることは少ない。
 ただ、ちょっと気になることが『愛知縣神社名鑑』に書かれている。
「『若宮旧記』寛政三年(1791年)氷室紀長記に、若宮八幡社境外末社にして若宮の管理支配するところとある」
『若宮旧記』というのは初めて聞くものだ。氷室紀長という人が書いた日記か記録のようなものだろうか。
 ここでいう若宮八幡社は、中区栄(旧・末広町)にある名古屋総鎮守の若宮八幡社のことのようだ。
 氷室紀長は江戸期の若宮八幡社の宮司か何かかもしれない。
 どういう経緯で境外末社になったのかはまったく分からない。若宮八幡社から見て松原八幡社は3.5キロほど西北に位置している。
 近くにある中島八幡社も、同じ時期に若宮八幡社の境外末社になっていたという。

 中村区のことのあたりのかつての村の位置関係や境界線がよく分からない。
『尾張志』がいうところの中野高畑村に現・松原町は入っていると考えていいだろうか。
「大秋村の南 名古屋より半里余西にあり 東を高畑といい、西を中野という
 二社 中野高畑村にあり 八幡社 中野分の氏神なり 水野社 高畑分の氏神なり」
 大秋村にも八幡社があり、その南が中野高畑村というなら、松原町がそうということになる。
 水野社は現在の地名でいうと則武2丁目になる。かつてはここが高畑村だったということだ。高畑というと地下鉄高畑駅があるあたりを思うけど、それはここからずっと南西の中川区だ。
 もうひとつ、よく分からないのは、則武の地名だ。則武村というのがあり、則武荘があるので、紛らわしい。このあたり一帯が則武荘だったと思うのだけど、その範囲を掴めていない。
『尾張国地名考』には、中野高畑村は二村を結んで呼んでいるもので、荒子村の方にも高畑があるからそれと区別するためとしている。
 続いてこう説明している。
「大秋、中島、中野、高畑の四村は旧一円なり」
 大秋と中島は今も地名が残るから分かる。中野は今の松原で、高畑が現在の則武2丁目あたりということになるだろうか。
 では、隣接する北東の亀島のかつての地名は何なのだろう。

 このあたり一帯にある八幡社の拝殿の作りがよく似ている。同じ宮大工が手がけたのかもしれない。見比べると違いがあるのが分かるのだけど、並べてみると建て売りの分譲住宅のようにそっくりでもあり少しずつ差別化が図られている。
 ここ松原八幡社と栄生町の八幡社が東向きなのは、何か特別な意図があってやっていることなのだろうか。
 別に南向きだろうが東向きだろうがどうでもいいといえばいいのだけど、個人的な好みを言うと、南の鳥居から入って、長い参道を歩いた奥に社殿が南を向いて建っているというのが一番しっくりくる。
 玄関入ってすぐ目の前が居間、みたいな神社もあれば、西から入って直角に参道が曲がって南向きの社殿といったところもある。
 いろいろな形の神社があるから面白いと思っておけばいいのかもしれない。神社といっても全部が全部形式張らなくてもいい。
 たまでに出会うクスッと笑える神社も、それはそれで嫌いじゃない。
 この松原八幡社はどういう神社かと訊ねられると即答するのが難しいのだけど、このあたり一帯の八幡社をすべてあわせてひとつの八幡社連合みたいな感じ、という答え方で答になるだろうか。
 この後は中島八幡社へ向かった。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

松原八幡社はいい神社なんだけどどんな神社だったかなと思う

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