土江神社

時は流れてスクナヒコナと園児たち

土江神社外観

読み方 ひじえ-じんじゃ
所在地 名古屋市中村区塩池町2-6-17 地図
創建年 不明
社格等  郷社・十二等級
祭神

少彦名命(すくなひこなのみこと)

アクセス

・名鉄名古屋本線「栄生駅」から徒歩約14分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 土江と書いて「ひじえ」と読む。
 正式には土の中に点のある「圡」という字だ(機種依存文字なので正しく表示されない可能性あり)。
 土(圡)を「ひじ(ひぢ)」と読むのは、古語で水気のある土のことを「ひぢ」と呼んだことからきているとされる。「泥」と書いて「ひぢ」と読んだ。泥が水気を含んだ土のことを指すのは現代人でも分かる。
 名古屋駅の東には泥江町があり、これは「ひじえ」と読む。泥江縣神社(ひじえあがた)もある。
 土江神社のあるあたりはかつて日比津村(ひびつむら)だった。土津から来ていると考えられている。泥津と表記された記録もある。
 ちなみに、現在の地名、塩池町は字池口前、池口西の池と字塩辛の塩を組み合わせたもので新しい。
 いずれにしても、このあたりの土地がかつて湿地帯もしくは泥地だったということが分かる。古くは名古屋台地の外で海の底だった。

『愛知縣神社名鑑』はこう書く。
「創建は明かではない。『国内神名帳』に従三位土江天神と記るし、『尾張志』に「社地荒廃し狭少となりて、社伝詳ならず、天神と称する社号正しければ帳内神社の列に称え奉らん」とみえ 上古は国司長官ら参拝して着任を申告し又常に朔幣を奉りしお社なり。明治5年、郷社に列格する」

 さらっと読むと、へえ、そうなんだで終わってしまうのだけど、この短い文の中にはいろいろな情報が詰まっている。
 まず気になるのは、「上古は国司長官ら参拝して着任を申告し又常に朔幣を奉りしお社なり」という部分だ。
 上古といえば、古代から飛鳥時代くらいまでを指す歴史区分だ。ずっと昔という意味で使われることもあるけど、この場合は違うと思う。狭い範囲でいうと大化の改新(645年)までとしている。
『国内神名帳』は平安末期に編さんされた尾張国の神社一覧で、この中に載っているとすればかなりの古社ということになる。しかし、平安期の927年完成の『延喜式』の神名帳には載っていない。
 国司たちが参拝して「常に朔幣を奉りし」というからには、相当格のある神社とされていたことを意味する。
 国司(こくし/くにのみこともち)というのは、今でいうと県知事と警察庁長官と裁判官の長官を兼ねたような立場の役人で、祭祀全般も担当していた。
 朔幣(さくへい)というのは、毎月の朔日(ついたち)に神社に奉幣することをいう。
 そんな格式のある神社がどうして『延喜式』に載っていないのかはよく分からない。
 江戸期に書かれた『尾張志』では、
「天神社 日比津村にあり府志云本国帳従三位土江ノ天神恐クハ是ナラム 今社地荒廃云々」としている。
 日比津村にある天神社が『国内神名帳』にある土江天神ではないかなぁと自信なさげだ。そして、社地は荒廃しているとある。
 更に続けて、土江天神が載っているのは『国内神名帳』だけで、貞治の熱田本元亀の国衙本には入江天神はあるけど土江天神はなく、土江天神が載っている古書には沼江縣(ヒヂエガタ)天神が載るも入江天神はない、なので、ひとつの神社が土江と泥江と違う表記で書かれたため混同してしまったのではないかというようなことを書いている。
 津田正生は『尾張国地名考』の中で、本当は土津天神だったのに津を草書で江と書き違えたんだと言っている。
 結局、元の名前も、いつ創建されたのかも、今の土江神社が『国内神名帳』に載っている土江天神なのかも、何ひとつはっきりしたことは分からないということだ。江戸期にすでに荒廃していたというのだから、今の神社が昔から変わらず続いていると言い切るのは難しい。
 ただし、近代社格では郷社(明治5年)だったということは、明治以降に大きくて立派な神社だったということだろう。
 今は児童公園の一角に小さく収まっているものの、昔の姿を知る人によるとかつては鬱蒼とした森の中に鎮座していたらしい。
 由緒には「北ノ所ニ始メテ祭レル」とあるから、創建されたのは今よりもっと北の庄内川に近いところだったかもしれない。

 祭神はスクナヒコナ(少彦名命)一柱となっている。これは名古屋では珍しい。スクナヒコナを主祭神として祀ることすら稀だ。
 しかし、ここから南西約1.7キロにある油江天神社の祭神もスクナヒコナになっている。
 油江は「あぶらえ」と読ませるのだけど、江という文字が入っていることもあり、土江神社や泥江縣神社との関連も考えられる。
 それにしても、誰がどういう経緯でスクナヒコナを祀る神社を尾張に建てたのかが気になる。
 スクナヒコナはオオクニヌシ(大国主命)が国作りをしているときに、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)に乗って波の彼方からやって来て、オオクニヌシを助け、国作りの途中で海の彼方にあるという常世国に旅立っていってしまった神だ。
『古事記』ではカミムスビ(神皇産霊神)の子とし、『日本書紀』ではタカミムスビ(高皇産霊神)の子としている。
 オオクニヌシとセットで祀られることはあっても、単独というのはあまり多くないと思う。
 性質としては、医術の神、酒造りの神などとするのが一般的だ。温泉の神だったり、石の神だったり、穀物の神だったりもする。
 土江神社の由緒では、鳥や獣、虫の災害から農民たちを守る神として祀られてたとしている。
 油江天神社では昔から歯痛に霊験あらたかとする。

 もしこの神社が本当に『国内神名帳』にある土江天神だとすると、それはもう時の流れというものを強く感じずにはいられない。今、この神社に国司一行がやってきて、うやうやしく奉幣したりしていたら、それは滑稽な姿に映る。隣接する公園では園児たちが大声でしゃべりながら走り回っている。
 スクナヒコナがここに鎮まっていたとしたら、毎日そんな光景を眺めながら、平和でいい時代になったものだと心穏やかに過ごせているだろうか。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

土江神社の名前はかつての記憶

HOME 中村区

スポンサーリンク
Scroll Up