津島社(岩塚)

時の流れのままにそこに在ること

読み方 つしま-しゃ(いわつか)
所在地 名古屋市中村区岩塚町林高寺東40 地図
創建年 不明
社格等  十五等級
祭神

素盞男命(すさのおのみこと)

アクセス

・地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約20分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 入り口の社号標には「津嶌神社」と彫られている。
 愛知県神社庁の登録名は普通に「津島社」となっている。
 総本社の津島神社に関する古い記録でもこの「嶌」の表記は見たことがない。他の異字体の嶋はよく目にするけど、嶌はあまり見ない。歌手の手嶌葵くらいしか印象がない。特に意味の違いはないようなので、この神社の人たちのちょっとしたこだわりということかもしれない。

『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建は明かではないが、『尾張殉行記』に”再建明暦四戌年(1658)也”とあり、古くから厄払天王と称して氏子の崇敬あつく岩塚東町の守護神として鎮座する。明治六年据置公許となる」
 一般的に神社の木造建造物は災害などなくても50年くらいで修繕が必要になるから、1658年に再建とあるからには創建は江戸時代初期、もしくはそれ以前という可能性が高い。
 厄払天王といっていたのなら、津島神社から牛頭天王を勧請して祀っていたということだ。
 現在の祭神、スサノオは明治の神仏分離令以降のことということになる。

 本社前の石灯籠に「厄払天王」と「八劔○○」と彫られている。
 その部分を意識して撮らなかったので下の方が切れてしまって写っていないため、○○の部分が分からないのだけど、熱田神宮の別宮・八剣社も関係があるようだ。近くにあった八劔社を明治か大正に合祀したということかもしれない。

『尾張志』にも『寛文村々覚書』にも岩塚村に天王ありと記している。
 それ以外に詳しいことは分からない。
 江戸初期、もしくはそれ以前に牛頭天王を勧請したというのであれば、わりと古い天王社といえるだろうか。

 神社の少し南を東西に佐屋路が通っていた。
 佐屋路は東海道の熱田湊から桑名までの海路を避けたい人のための脇街道として江戸時代前期の1634年に整備されたものだ。尾張藩主の義直が家光上洛のために開いたともされる。
 それ以前から佐屋路に相当する道はあり、熱田と津島を結んでいたため、津島街道とも呼ばれた。
 なので、佐屋路沿いに津島社があるのは当然といえば当然のことだ。
 ちょっと疑問なのは、佐屋路から90メートルほど北に入ったところにあり、社殿が東向きに建っているという点だ。
 これは周辺が宅地化したことによって境内が狭くなり、入り口が東になって南向きだったものを東向きに建て直したということだろうか。
 かつては南の佐屋路から直接参道がつながっていたかもしれない。

 旧佐屋路から北へ細い道を入り、しばらく進んだ左手に神社入り口がある。
 鳥居はなく、民家と民家の間の私道のようなところを通り抜け、舗装が途切れたところから先が境内だ。
 何か足りない気がすると思ったら手水舎がない。水が出ないのではなく、水盤そのものがない。
 境内の奥近くに拝殿があり、その向こうに石垣で高台が築かれ、本殿が乗っている。小型の狛犬もいる。
 社殿を取り囲むようにクロガネモチなどの巨木が立っており、葉が生い茂って木漏れ日の風景を作りだしている。
 とても静かだ。神は留守か昼寝でもしているみたいに。
 捨て置かれているというと言葉が悪いけど、放置されている感は強い。ただ、それは必ずしも悪いことではないのかもしれない。神社が風景に溶け込み、自然と一体化している姿は、これはこれでいいじゃないかと思った。
 流れた歳月は残酷でもあり優しくもある。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

岩塚津嶌社は写真写りのいい神社

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