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尾張戸神社


尾張氏ゆかりの首長が眠る古墳の上に建つ古社




読み方おわりべ-じんじゃ
所在地守山区大字志段味字東谷209 地図
創建年伝・135年(第15代成務天皇5年)
旧社格・等級等郷社・八等級・式内社
祭神天火明命(あめのほあかりのみこと)
天香語山命(あめのかぐやまのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)
アクセスJR中央本線「高蔵寺駅」から徒歩約60分
愛知環状鉄道「中水野駅」から徒歩約45分
ゆとりーとライン(バス) 大曽根駅発 高蔵寺行き 「東谷橋(とうごくばし)」バス停下車。徒歩約40分
駐車場 あり(無料)
webサイト名古屋市webサイト
その他例祭 10月15日
オススメ度**

 社伝によると、創建は成務天皇の時代で、ミヤズヒメ(宮簀媛命)によるとされる。
 第15代成務天皇は、実際のところでいうと4世紀半ばだろうか。第12代景行天皇の第四皇子で、日本武尊(ヤマトタケル)の異母弟に当たる。ヤマトタケルの妃がヤマトヒメなので、時代的には合う。
 とはいえ、史実とはいえない。
 名古屋市最高峰の東谷山(とうごくさん/198m)の山頂にあり、社殿は4世紀後半に作られたとされる円墳(前方後円墳とも)の上に建てられている。
 東谷山には他にも中社古墳、南社古墳があり、麓の志段味地区では4世紀から7世紀にかけての古墳が多数築造された。



『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「『延喜式神名帳』に山田郡、尾張戸神社。『尾張本国帳』『尾張国神名帳』に従三位尾張戸天神と後者には従三位上尾張戸天神と記るす。社地は尾張氏一族の本貫の地として古くより開けた。古墳の多いにもうなづける。創建は明かではないが、山頂の社殿は広大であったが、大永元年(1521)七月大火に遭い社殿の全てを失う時の尾張藩主徳川光友、藩費にて復興造営すと。明治5年5月郷社に列し、明治40年10月26日供進指定をうけた」



 東谷山から志段味の一帯に古墳を築造した一族が尾張氏だったかどうかは意見が分かれるところで、個人的には違うと考えている。少なくとも、火上山から熱田に進出して熱田社を建てた一族と志段味に土着して4世紀から7世紀にかけて古墳を築き続けた一族は別だろう。
 ただ、どこかの時点で志段味の勢力は尾張氏の側についたか融合した可能性は高い。そのあたりの経緯は非常に複雑なので、ここでは書ききれない。
 なお、『愛知縣神社名鑑』が書く大永元年(1521年)に火事で社殿が焼けたということと徳川光友が社殿を造営したというのはまったく別の話だ。光友は1625年生まれの1700年没で、光友が社殿を造営したのは寛文5年(1665年)のこととされる。



 東谷山山頂にある尾張戸神社を『延喜式』神名帳の山田郡尾張戸神社とするかどうなのだけど、山田郡尾張戸神社ではなく山田郡尾張神社だとする説がある。
 現在、山田郡尾張神社は小牧市小針の尾張神社(おばりじんじゃ)としているのだけど、地理的に考えて小牧市まで山田郡とするのはどうにも無理がある。なので、東谷山山頂の神社が尾張神社ということは充分に考えられる。
 津田正生は東谷山の神社を尾張神社とし、尾張戸神社は小幡村にあるといっている。
『尾張国神社考』で尾張神社天神として、こんなふうに書いている。
「【正生考】山田荘水野村尾張やまに坐。いまは山王と呼社是也。社人菊田氏 【近藤利昌曰】下水野村の尾張山は、山上に尾張姓の祖神を祀る。此ゆえに尾張明神と呼。山をも當國山と俗稱す。一に東谷山とも書ものは文人の所為(しわざ)なるべし 【瀧川弘美曰】集説に尾張戸天神を配(あて)たるは非也。さて山王権現を祭るは後の事なり 【山口延経案】姓氏録ニ云尾張宿禰は天ノ火明尊の末孫二十七世孫、阿曾連之後世也と、此やしろは天香語山命を祭る歟 【水野貞信曰】(尾陽雑記之作者)尾張氏の末孫大宮司の崇敬けるゆえに、いつの世より歟爱をも熱田と呼ならし、北の麓に高倉寺村あり(高蔵寺という天台宗の寺もあり)西の山下に白鳥山もあり、熱田を表せる事眼前なり。土民(たみ)はあつたの奥の院也といふ。又爱に熱田の社人の扣たる神地あり、禰宜もその由来はしらすして只持傳へたるばかりなり 【松平君山曰】寛文五年瑞龍院光友卿の時、この摂社及佛堂を創建賜(はじめてたてて)へり。南社は伊弉諾尊、北は菊理媛命なり。その北の佛堂は薬師如来なり」
 作者の津田正生は『万葉集』の尾張連の歌を二首載せて、これは水野山のほとりで詠んだものではないかとし、「猶後の君子考へてよ」とのみ書く。
 東谷山はもともと尾張山と呼ばれていたようで、尾張=当国で当国山とも呼ぶようになり、後に東谷山と字が当てられたということのようだ。
 中社古墳と南社古墳の社は光友が造営したもので、中社古墳に菊理媛命、南社古墳に伊弉諾尊を祀るとも書いている。



 一方の尾張戸神社については、「をはとの」と読んで、こう書く。
「【瀧川弘美曰】山田郡小幡(をばた)村は尾張戸(をはりど)の約(つつま)りて、後にをばたと呼にそあり。予一日木ヶ崎長母寺無住國師の行状記を讀て而もこれを知る。神社は戦國以来社頭(みあらか)をうしなへり。續紀に、稱徳女帝の神護景雲二年、十二月甲子、尾張國山田郡の人に小治田連薬等八人に姓を尾張宿禰と賜ふ。と見えたる此一族の祖先を祀る成ねしとしるされき 【正生謹考】尾張戸天神は宮地村大永禅寺の一町西なる、天神の森即是成べし。後世天神森は、故ありて大永禅寺に属有 【里老曰】今の街道筋をる聚落は小幡原といふ所にて、もとは平山也。慶安年中水野定光寺を、御建立の後、道も替り、諸人の往来も蕃(しげ)きにつきて、村民漸々に街道の方へ引うつりたる新地にて舊邑は此原山の北麓、古道の北の邊をいふといへり 【正生考】地理を見るに秦江(守山の支)宮地(今は守山に附)大永寺村、金屋坊村、幸神、原山の地等みな尾張戸の一圓にて、その中にも大永禅寺一山の地と宮路島は(今は守山邑に附)小墾田邑の舊地なる事著し、戦國以降は天神の森に社頭なし。然るに大永禅寺の門内に寛永以後、書像菅原天神の祠あり。此と混同すべからず」
 大永寺については熊野社(大永寺)のページに書いた。現在も寺は大永寺町という地名とともに現存している。
 要約すると、小幡は尾張戸が縮まったもので、尾張戸神社は大永寺の西100メートルほどの天神の森と呼ばれる場所にあって、戦国時代に失われてしまったということだ。
 定光寺ができて街道が整備されて村がそちらに移った云々というのは、瀬戸の定光寺に尾張藩初代藩主の義直が自ら望んで葬られたため、名古屋城と瀬戸方面が結ぶ水野街道(瀬戸街道)が整備され、小幡にあった村が街道筋に移ったということをいっている。古い時代は小幡原に尾張神社があっても不自然なことではないということがいいたかったのだろう。



『尾張志』(1844年)は、東谷山を尾張戸神社、小針村を尾張神社としている。
 尾張藩初代藩主義直の時代に、山を掘り起こしたら「當國明神」と刻まれた鉄製の桶が出てきたため、ここは当国=尾張で式内の尾張戸神社はここに違いないということになったといったようなことを書いている。
『尾張徇行記』(1822年)も当国山の当国大明神が式内の尾張戸神社という見解だ。
 下水野村には他に八幡、天王、山神、権現もあり、すべて創建不詳で前々除とある。



 祭神のアメノホアカリ(天火明命)は、尾張氏の祖神とされる神だ。
 アメノカグヤマ(天香語山命)は別名タカクラジ(高倉下)ともいい、アメノホアカリの長子とされる。
 アメノカグヤマは初め、春日井市の高座山の神で、のちに東谷山に移ってきたという話がある。それは氏族が庄内川の北から川を越えて南に移ったことを意味しているのかもしれない。
 タケイナダネ(建稲種命)がいつどのような経緯で祀られるようになったのかは分からない。ミヤズヒメ(ヤマトタケルの妃)の兄であり、ヤマトタケルの東征の際には副将軍として従い、故郷へ戻る途中に駿河湾で命を落としたとされる。
 タケイナダネは春日井市の内津神社や吉良町の幡頭神社、南知多の羽豆神社などで祀られる。
 ミヤズヒメが尾張山に尾張神社を建てたというのは伝説だろう。ミヤズヒメ自身は氷上姉御神社で祀られている。



 尾張戸神社の「戸」というのは渡来系の部族を指す言葉という説がある。この場合、尾張氏に従属していた渡来系の人々が尾張氏の神を祀る神社を建てたのかもしれない。
「おわり-べ」が本来は「尾張部」であったとすると、部は大化の改新以前に豪族や朝廷が所有した人民の集団のことを指している。そういう人たちのことを部民(べみん/べのたみ)といった。そうだとすると、この神社は尾張氏の部民が建てた神社ということも考えられる。



 鎌倉時代から平安時代にかけては熱田神宮に次ぐ大社だったという話も伝わっている。
 そののち火災や戦乱などもあり、次第に規模は縮小していった。『愛知縣神社名鑑』がいう大永元年(1521年)の大火というのは、戦によるものだっただろうか。
 江戸時代に入ると、名古屋城の鬼門の方角に当たるということで、尾張徳川家に大事にされ、歴代藩主が造営、改修を行った。



 尾張神社と尾張戸神社がそれぞれどこのことかということは軽々しく決めつけられないので、個人的には保留としたい。



  東谷山フルーツパーク(web)がある西側から登るときついアップダウンがあってけっこう大変かもしれない。20分ほどの山登りをすることになる。南から行く方がやや楽で、東からの方がもっとゆるやからしい。
 元日に東から登る初日の出を見るために早朝に登る人もいるそうだ。
 山頂には展望台があって西の名古屋方面を見渡すことができる。夜景もきれいというけど、山道はものすごく暗いので注意が必要だ。




作成日 2017.2.6(最終更新日 2019.1.16)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

年に一度は東谷山
初詣は東谷山山頂の尾張戸神社へ

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