白山社(太閤)

米野村の白山社ではないのか

太閤白山社

読み方 はくさん-しゃ(たいこう)
所在地 名古屋市中村区太閤2丁目2 地図
創建年 不明(1612年とも)
社格等 村社・十四等級
祭神 白山比売神(しらやまひめのかみ)
アクセス

・近鉄名古屋線「米野駅」から徒歩約4分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 現住所が太閤2丁目となっているこのあたりは、かつて米野村(こめのむら)だったところだ。
 明治19年にここより少し北の広井村笹島に名護屋駅(今の笹島交差点あたり)ができた当時でさえ湿地帯が広がるだけの何もない土地だったというから、江戸時代は寒村といっていいところだっただろう。
 昭和12年に笹島に貨物駅ができ、このあたりは大きく様変わりすることになった。
 その後、貨物駅は廃止となり、近年はささしまライブとして再開発されている。中京テレビや愛知大学も移ってきており、今後も変わっていくであろう街だ。

 白山社はささしまライブ駅の少し北にあることもあって、太閤の白山社というよりも笹島の白山社といった方がしっくりくる。
 よくぞこんな場所に残ったと思ったのだけど、もともとこの場所にあったのではないかもしれない。
 というのも、江戸時代の『尾張志』や『寛文村々覚書』の米野村の項に白山社は載っていないからだ。

『尾張志』
「若宮八幡社 くまの社 金山社 サグジノ社 辨天社」

『尾張徇行記』
「八幡権現荒神三社界内三反二畝前々除、熱田祢宜大原氏掌之 府志云、若宮祠熊野祠金山祠倶在米野村」

『寛文村々覚書』
「八幡 権現 荒神 前々除」

 いずれも白山社は出てこない。
 隣の平野村にも、牧野村にも白山社はない。
 鉄道工事にともなってどこかよそから移されてきたものかもしれない。

『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「社蔵の棟札に慶長十七年(1612)正月、社殿造営とある。平池町の産土神として崇敬あつく、明治五年、村社に列格した」
 1612年に社殿を造営したという棟札が残っているというのだけど、これが創建とは限らない。修造や再建ということもある。
 平池町は昭和16年に誕生した町で、米野町の旧字である下平池裏・上平池裏に共通する平池から名前がとられた。
 米野村の由来については津田正生が『尾張国地名考』の中で書いている。
「今上下の二村あり 文和三年四月廿三日の熱田神領目録に愛知郡薦野村とあり されば今こめのといふはこものの轉聲なり 平野牧野米野は舊一圓なるべし」
 文和(ぶんな)三年は1354年で、その当時の熱田神領目録に薦野村とあるから、米野は薦野から転じたものだろうということだ。
 薦は推薦(すいせん)のようにすすめるといった意味の他に、水辺に生えるイネ科のマコモの古名で、菰とも書く。三重県には菰野(こもの)の地名が今も残っている。
 米野は米どころといった意味ではなく、コモの生い茂る湿地帯だったことが地名の由来になっていると考えてよさそうだ。

『愛知縣神社名鑑』に、本殿が折屋造となっているのが気になった。
 折屋造というのがどういうものなのか知らない。
 実はこのとき、拝殿というか本殿を覆っている建物にスズメバチの巣があってスズメバチが飛び交っていたため、近づくことができなかったのだった。それで本殿の様子も見ていないため確認できていない。機会があれば再訪したい。

 境内には大白龍神を祀る社がある。
 とぐろを巻いた蛇の石像が三体置かれていたから、白蛇信仰から来ているのだろう。
『愛知縣神社名鑑』に「大正二年秋暴風により樹齢六百余の松樹倒れる。古い神社の歴史を語るに惜しきことなり」とあるから、もしかしたらこの大松と関係があるかもしれない。

 この神社の読み方を一応「はくさん-しゃ」としておいたのだけど、祭神が白山比売神(シラヤマヒメ)となっていることからすると、「しらやま-しゃ」の可能性もある。
 はくさん/しらやま問題も解決できずにいることのひとつだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

太閤の白山社は笹島の歴史を見守ってきた

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