笠寺町に古くからあった七つの秋葉神社のうちのひとつ。 市場(いちば)、大門(だいもん)、笠迫(かさま)、中切(なかぎり)、新町(しんまち)、西之門(にしのもん)、松本のそれぞれの町内で秋葉権現を祀っていた(中切の秋葉社は現存せず)。 これは新町の秋葉神社だ。 明治の神仏分離令を受けて、七所神社の境内に移された。移されてはいるけど、新町秋葉神社の社号標が建っていることからしても、境内社になったというより独立した秋葉神社ということになるのだと思う。 同じく市場の秋葉神社も七所神社境内の東側に移されている。
新町(しんまち)の地名は、文字通り新しい町ということから来ている。 東海道ができた当初は市場の方を通っており、後に新町に付け替えられた。新しくなった東海道沿いにできた町ということで新町と呼ばれるようになった。 北側の笠寺観音(笠覆寺/web)があるあたりを上新町、その南側を下新町と呼んで区別した。その地名は今も残っている。
この秋葉神社がどこにあったのかは調べがつかなった。上新町だったか下新町だったか。 いずれにしても東海道の付け替えが行われた後だろうから、創建は江戸時代前期といったところだろうか。 新町と呼ばれる以前に集落ができていたとしたら、秋葉権現を祀ったのは江戸時代をさかのぼるかもしれない。笠覆寺が現在地に移されたのは平安時代のことで、新町のあたりはその門前町だっただろうから。 『南区の神社を巡る』は江戸時代初期ではないかと書いている。
笠寺町七つの秋葉神社の中で中切の秋葉神社だけはなくなってしまっている。どういう理由で廃社にしてしまったのだろう。 新町と市場は七所神社境内とはいえ生き残った。一度なくなったものを復活させるのは難しい。間借りでも押しつけでもなんでも、残りさえすれば歴史はつながる。 本社に合祀ということもよく行われたのだけど、それよりは境内社でも残った方がよかったと思う。
作成日 2018.3.10(最終更新日 2019.8.24)
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