眞好天神社

古墳にあった石が菅原道真に

眞好天神社

読み方 しんこう-てんじん-しゃ
所在地 名古屋市瑞穂区瑞穂通4丁目34番 地図
創建年 不明
社格等 村社・十三等級
祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
アクセス

・地下鉄桜通線「瑞穂区役所駅」から徒歩約4分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 眞好天神社と天神社を名乗って菅原道真を祀っているというのだけど、見た感じも雰囲気も天神社らしさはない。天神社らしさといえば牛の像がいるくらいだ。
 そもそもは眞好社だった。御神体は石で、おどり山の上にあった。

『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建由緒については明かではない。明治5年8月27日、村社に列格する。昭和58年12月27日に眞好社を眞好天神社を改称し祭神を菅原道真と明らかにした」
 祭神を菅原道真と「明らかにした」のが昭和58年だというのだ。誰が明らかにしたのか?
『瑞穂区の歴史』によると、天保年間(1830-1844年)にはおどり山に祀っていたものを明治2年(1869年)に現在地に移したという。
 もう少し詳しい話として、おどり山の山頂に石を御神体として祀っていたところ、誰かの夢の中で石を現在の場所に移すようにというお告げがあったため、関係者が今の場所に移して祀るようになったのだという。
 菅原道真を祀るとしたのは昭和11年(1936年)という話もある。

 おどり山は、現在地から見て600メートルほど東北にある(地図)。住所でいうと村上二丁目だ。
 おどり山は、おどり山古墳と名付けられた5世紀後半の円墳で、高さ3.6メートル、直系40メートルというから尾張では中型の円墳ということになる。
 おどり山の名前の由来はよく分からないけど、まごく山、大殿山(おとどやま)などとも呼ばれたという。
 この古墳の上に石を祀っていたというのであれば、それは自然石ではなく石室に使われた石が露出したものかもしれない。どれくらいの大きさの石だったのだろう。
 石を御神体として祀るようになった時期は分からない。天保年間といえば江戸時代ももう後半だ。少し遅い気もするけど、そのとき古墳から出てきたということだろうか。
 おどり山古墳に関しては北側で須恵器が出土しているだけなので詳しいことは分からない。
 御神体の石が移されてしまったあと、住人によって村上神社が創建された。神社造営の際に、かなり削られて原型はとどめていない。

 移されてきた現在の場所もまた、小高い丘になっている。あるいはここも古墳ではないのかと思われるのだけど、古墳とはされていない。可能性はあるんじゃないだろうか。
 夢のお告げ云々というのは置いておくとして、何故、古墳の上にあった石を別の場所に移す必要があったのかということを考えてみると、明治2年という時期と無関係ではなさそうだ。
 明治元年(1868年)に明治政府が出した神仏分離令(神仏判然令)によって寺と神社は分けられ、同時に廃寺、廃社となったものがたくさんある。おどり山で祀っていた石がその対象となったとしたら、なんとか存続させるために神社としての体裁を整える必要に迫られたのではないか。場所を移したのも政府の目を誤魔化すためだったかもしれない。
 ただ、明治5年には村社に列格しているくらいだから、私が考えている以上に立派な神社で氏子も多かったということか。
 実際に夢のお告げがあって、石に宿る神が自らそう望んだという話も、それはそれでありだと思うけど。

『尾張志』などではこれに相当する神社は見つけられない。
 そもそも、おどり山があったあたりは何村だったのだろう。北井戸田村でも、中根村でもない。村の境界外だっただろうか。
 瑞穂台地にある古墳はどういう勢力のものだったのかも気になるところだ。弥生時代に発展した瑞穂集落に暮らす人々の末裔だろうか。
 西の熱田台地とは精進川で隔てられているとはいえ、熱田からさほど遠くない。熱田台地にいた尾張氏との関係性も重要な鍵を握る。そのあたりが見えてくると、瑞穂区の神社についての理解も深まるはずだ。

 古墳の石がどうして菅原道真とされたんだろうという疑問は残るも、神社がそういうのだからそういうものだと受け入れるしかない。石は猿田彦だといえば猿田彦だし、イザナギ・イザナミだといえばそうで、ここでは菅原道真としたということだ。
 眞好社の眞好は中国語でいうと真に好い、とても良いという意味だけどそれ以外の意味があるかどうかは分からない。
 神社は歳月と共に変わっていく。それもまた神社の本質だ。人も変わり、生活も変わり、環境も変わる。時代に合わせて神社が変化していくのも必然で、もともとこの神社の祭神は別だったから今の祭神は間違っているなんて言っても意味がない。式内社といってもそれは昔の話だ。神仏習合も長い歴史の中の一時代のことで、それが日本人の信仰の本来の在り方というわけでもない。
 私たちは今の神社とつき合っていくだけのことだ。そして、言うまでもなく、今我々が目にしている神社の姿が最終到達点というわけではない。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

天満宮らしさはないけど道真を祀る眞好天神社

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