千代ヶ丘椿神社

名古屋に椿大神社の分社があった

千代ヶ丘椿神社

読み方 ちよがおか-つばき-じんじゃ
所在地 名古屋市千種区千代が丘5 地図
創建年 1980年?(昭和55年)
社格等 不明
祭神 猿田彦大神(さるたひこおおかみ)
天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
アクセス 地下鉄名城線「自由が丘駅」から徒歩約33分
駐車場 なし(スーパーの駐車場あり)
webサイト  
オススメ度

 これまたすごいロケーションにある神社だ。アオキスーパーなどの商業施設が入るショッピングセンターコスモの屋上というかテラスの片隅に鎮座している。周囲はたくさんのUR団地などが建ち並び、ひとつの独立した街のようになっている。この神社はその団地の守り神と考えていいだろうか。
 敷地としてはスーパー内だとは思うのだけど、神社が先にあってスーパーが後からくっついたようにも思える。

 おそらく囲われている部分が境内ということになるのだろう。社号標、由緒書き、鳥居、手水、玉垣、灯籠と、神社を構成する要素が一通り揃っている。社もけっこう立派だ。
 境内の由緒書きによると、昭和55年に三重県鈴鹿市の椿大神社(つばきおおかみやしろ/web)から分霊したとある。
 椿大神社は猿田彦を祀る神社の総本社とされる伊勢国の一宮だ。そこから勧請して建てた神社というのはごく少ないと思うのだけど、昭和55年などという近代にどうしてそれが許されたのか。しかも、こんなスーパーの片隅に。
 これは非常に謎であり興味深くもある。昭和55年というのは本当なのだろうか。

 千代が丘の町名は昭和58年に猪高町大字猪子石と鍋屋上野町の各一部から成立した。これはこのあたりの大地主だった平野千代という人の名前を取って名付けられたものだ。
 猪高層と呼ばれる洪積層の土地で、砂と泥を多く含んだ坂道が多く、住宅を建てるには向かなかった。それを削って宅地化を始めたのが昭和37年のことで、千代が丘団地はその頃から建てられ始めた。
 神社が創建されたとされる昭和55年当時、このあたりがどういう状況だったのかは知らない。前を通ったことがあったとしても印象はなく、神社の存在ももちろん知らなかった。この神社を知ったのはつい最近のことだ。
 アオキスーパーがいつできたのかが分かればもう少し手がかりが得られそうだけど、調べがつかなかった。神社より後には違いない。
 どうして椿大神社から分社として認められたのかは、やはり分からずじまいだ。

 本家の椿大神社についてはブログに記事を書いた。
 椿大神社で泣かされ背中を押してもらう<前編>
 椿大神社の6月の風景<後編>
 個人的に非常に印象深い神社だ。
 その歴史は複雑で、理解するのは簡単ではない。
 猿田彦の総本社を名乗るのは椿大神社だけではなく、伊勢の神宮(web)近くにある猿田彦神社(web)もそうだ。ここは宇治土公氏が邸内に祀っていたものを明治になって外に出して社殿を建てたものだ。
 宇治土公氏はおそらく、伊勢の神宮が天武・持統天皇によって皇室の神社とされる以前に五十鈴川流域を支配していた氏族で、猿田彦の末裔を称している。なので、猿田彦総本社を名乗る気持ちも分かる。
 椿大神社の宮司家は山本氏で、こちらも猿田彦の直系を称している。
 鈴鹿というと伊勢からは60キロ以上も離れた山の麓なのだけど、古くから伊勢の国府は鈴鹿にあり、ヤマトタケルが死去したとされる能褒野(のぼの)も鈴鹿だ。
 椿大神社がどういう経緯で猿田彦を祀る神社として建てられたのかはよく分からない。
 境内には土公神陵(どこうしんりょう)と呼ばれる古墳がある。それは猿田彦の墓という説もあり、近くには御船磐座(みふねいわくら)もある。古くからそこで祭祀が行われていたようで、椿大神社はそこから来ているのかもしれない。
 土公神陵という名前からして宇治土公氏と無関係とも思えない。
 伊勢の内宮・外宮と荒木田氏、度会氏、猿田彦の宇治土公氏と山本氏の関係なども興味深いのだけど、ここで扱うにはテーマが大きすぎる。

 千代が丘の椿神社が誰によってここに建てたのかは分からないものの、名古屋に椿大神社の分社があることの意味は小さくない。
 もう少し調べれば分かることもありそうなので、継続調査としたい。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

千代ヶ丘椿神社は千代が丘団地の神社なのか

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