新川の右岸(西側)、堤防下にある神明社。 江松1丁目は新しい家やアパートが多く、新興住宅地といった感じだ。その一角にこの神社はある。 1キロほど南の江松5丁目に神明社(地図)があり、それが江戸時代の江松村の中心神社だった。集落もそこにあった。 江松1丁目の神明社に関しては調べても分かったことは少ない。神社本庁に加盟しておらず、江戸期の書にもなく、ネットからも情報はほとんど得られない。 白いコンクリート造の拝殿は真新しく、ここ数年内に建てられたもののようだ。本社を覆う塀も同じように白のコンクリート製で新しい。狛犬も社号標も新しくなっている。 ただ、木造の本社は古い。鰹木の飾り金具などが取れていたりして傷んでいる。 立派な拝殿を建てる前に本社の修繕をした方がよかったんじゃないかと思った。拝殿にお金がかかって本社を直す資金が足りなくなったのだろうか。 外削の千木、鰹木五本は一般的に男神を祀るとされるけど、祭神に合わせて社殿を作っているわけではなさそうだ。
神社のある場所は江戸時代の榎津村の村域だったのか江松村だったのか。 江松村は、江戸時代前期の1630年代に干拓で南に福田新田が作られるまでは海辺の村だった。 今昔マップで明治中頃(1888-1898年)からの変遷を辿ってみると、このあたりは長らく田んぼか空白地で民家もないようなところだったことが分かる。南の江松2丁目となっているところに数軒の家があったようだ。 戦後も状況は変わらず、道が通ったのは1960年代に入ってからで、江松1丁目に家が建ったのは1990年代だった。1992-1996年の地図で初めて鳥居マークが描かれる。 江松1丁目から5丁目まで成立したのは平成になってからだろうか。『なごやの町名』には載っていない。
境内の脇に「名古屋市江松北部土地区画整理組合 完工記念碑」という石碑がある。 このあたりの土地を区画整理して新しい住宅地にしたのだろう。そのときこの神社はよそから移されたのかもしれない。本社の古び方からすると完全な新築とは思えない。社だけは古くからどこかにあって、それをここに移してきて社殿を建て増したということは考えられる。 近所の人に訊けば何か情報が得られそうな気がするけど、この新興住宅地の中でどれくらいの人が氏子になっているだろうか。 この神社の存在が地域の人たちをつなぐ役割を果たしているといいのだけど。
作成日 2018.1.1(最終更新日 2019.7.15)
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