七所社

きねこさ祭で知られる熱田神宮とゆかりの深い神社

七所社と御田神社

読み方 しちしょ-しゃ
所在地 名古屋市中村区岩塚町字上小路7番地 地図
創建年 伝884年頃(平安時代前期)
社格等 式内社(論社)・郷社
祭神

日本武尊(やまとたけるのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
高倉下命(たかくらじのみこと)
宮簀姫命(みやずひめのみこと)
乎止與命(おとよのみこと)

アクセス

・地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約20分。
・無料駐車場 なし

webサイト 公式サイト
オススメ度 **

 尾張三大奇祭のひとつ、岩塚のきねこさ祭で知られる。
(あとのふたつは国府宮のはだか祭と熱田神宮の歩射神事。犬山の石上げ祭が加えられることもある)
 別名・御田祭ともいい、境内摂社の御田神社(みたじんじゃ)の祭礼として始まったものを七所社が受け継いだとされる。

 もともとあった古い社が御田神社で、『延喜式神名帳』(927年)にある愛智郡御田神社はこの神社と考えられている(熱田神宮内にある御田神社も論社)。
 室町時代中期の1425年。足利尊氏の一族(足利高経の祖父・宗家の兄の系統)の岩塚城主 ・吉田守重が熱田神社から八剱社、大幸田神社、日割御子 神社、高座結御子神社、氷上姉子神社、上知我麻神社の七社を勧請して祀ったことから七所社と称されるようになった。

 昭和7年(1932年)に、884年の年号と「御田天神」と刻まれた鏡が発見されたことから、七所社の境内に御田神社が作られた。
 古くからこの地は熱田神社の領地で、熱田神社に納める稲を作っていたことで御田と呼ばれるようになったという。
 御田祭(きねこさ祭)は、その年の吉兆を占い、五穀豊穣を願う祭礼で、毎年旧暦1月17日に行われている。現在のような大がかりな祭礼になったのは、室町時代に七所社になって以降と思われる。
 御田神社の祭神は、伊勢の神宮外宮の祭神でもある豊宇気毘売神(トヨウケビメ)という説と、保食神(うけもちかみ)という説がある。個人的には後者の保食神説を信じる。トヨウケビメは熱田神社が明治になって神宮化して以降の後付けではないだろうか。
 いずれも穀物神であるとはいえ、熱田神社とゆかりの深い神社のは確実であるから、伊勢の神であるトヨウケビメよりも保食神の方がしっくりくる。
「うけ」は食べ物のこと、「もち」は受け持つということで、高天原(たかあまはら)はら来たツクヨミ(月夜見命)に口からはき出して食物を提供したところ、ツクヨミの怒りを買って殺されたしまったのが国津神の保食神だ。体の各部から牛、馬、蚕、五穀が生じたと『日本書紀』に書かれている(『古事記』には登場しない)。
 ツクヨミのこの行為に怒ったアマテラスはツクヨミと絶交して二度と会うことがなかったことから太陽と月は一緒に出ないというお話しも生まれている。
 ちなみに、御田神社はここではなく別の場所にあったという説もある。
 熱田神宮内にある御田神社は、大年神(オオトシ)を祀っていることからしても、岩塚の御田神社とは直接関係がなさそうで、神名帳にある御田神社はやはり岩塚のものと考えた方がよさそうだ。

 境内には平安時代初期のものとされる塚(円墳)が3つ見つかっている。
 古墳時代は600年代には終わっているため、700年代後半以降のものは珍しい。あたり一帯でそれ以外の塚(円墳)は発見されていない。
 塚の上に不生石という1メートルほど大岩があり、岩塚の地名はそこから名付けられたとされる。
 また、ヤマトタケルが東征の際、庄内川を渡る前に腰掛けたという伝説を持つ日本武尊腰掛岩がある。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

岩塚のきねこさ祭 —七所社と川祭り編
岩塚のきねこさ祭 —古式行列と佐屋街道編
岩塚のきねこさ祭 —本祭りと厄払い神事編

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