影向間社

草薙剣の仮置き所ならびに熱田大神の避難所

影向間社

読み方 ようごのま-しゃ
所在地 名古屋市熱田区白鳥二丁目11 地図
創建年 不明(686年か)
社格等 不明
祭神 熱田大神(あつたのおおかみ/草薙剣)
アクセス

・地下鉄名城線「神宮西駅」から徒歩約3分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 熱田神宮の西、国道19号線を挟んで細い道を入っていったマンションの駐車スペースの一角に小さな社がある。
 社名も何も書かれていないので通りかかる人もここがどんな神社か知らない人が多いと思う。おそらくマンションの住人もそうじゃないだろうか。
 ここは熱田神宮、特に草薙剣とのゆかりが深い神社だ。簡単に説明すると天皇家から戻ってきた草薙剣を一時預かっていた邸宅の部屋にまつわる社ということになる。
 ただ、その説明だけでピンと来るのは一部の人だけなので、もう少し詳しい解説が必要となる。

 草薙剣の物語の前半部分に関してはあちこちのページで書いたのでここでは省略するとして、熱田社の御神体として祀られていた草薙剣が盗まれてしまうというところから始めたい。
 飛鳥時代の天智天皇7年(668年)、新羅の僧・道行が草薙剣を盗み出して新羅に逃亡を試みるも嵐に遭って陸に戻され捕まったと『日本書紀』にある。
 道行の正体や盗んだ目的などについては説明がない。道行がその後どうなったかも書かれていない。
 鎌倉時代初期に成立した『尾張国熱田太神宮縁記』によると、道行が海を渡ろうとしたところ伊勢で草薙剣が自分で戻ってきて、もう一度道行が盗み直して摂津国から船を出したところまたも嵐に遭って難波に漂着したため、あきらめて自首して死罪になったとしている。
 草薙剣盗難事件から18年後の朱鳥元年(686年)、天武天皇が病気になって原因を占ったところ、草薙剣が祟っているせいだということになり、熱田社に送り置いたと『日本書紀』は書いている。
 何故か熱田社の御神体だった草薙剣は盗まれたのを取り返した後、18年間も宮中に置かれていたということになっている。
 現在、熱田神宮の別宮となっている八剣宮は、和銅元年(708年)に元明天皇が命じて新剣を造らせ、それを祀るために建てたとされている。
 もともと熱田社と八剣社は別々の神社だったのだけど、どうして686年に草薙剣が戻ったとしながら708年に別の剣を造ってそれを祀る社を建てる必要があったのか。
 草薙剣盗難事件には明らかに裏がある。天皇の皇位継承に必要な三種の神器のひとつでありながらどうして地方の尾張国の神社で祀られているのか。逆に言えば、どうして尾張国の神社の御神体の剣が天皇の三種の神器になるのか。何故、その剣が天武天皇に祟ったのか。どうしてそのことを『日本書紀』はわざわざそれを書いたのか。
 この草薙剣盗難事件について『古事記』では触れられていない。
 686年というのはひとつのターニングポイントになる年で、天武天皇の死去から持統天皇へと時代が移ったときだった(持統天皇即位は690年)。
『古事記』、『日本書紀』の編さんが行われている時期で、アマテラスを皇室の神として現在に続く神話と神社の体系を整えたのがこの時期だったという説がある。伊勢の神宮が実質的に創建されたのも持統天皇の時代と考えられる。
 熱田神社の元宮ともいえる氷上姉御神社も、690年に持統天皇の命で火上山から現在の場所に移されている。

 このあたりの話は非常にややこしくて長くなるのでやめておくとして、とにもかくにも686年に草薙剣は熱田に戻ってきた。
 そのとき熱田社がどうだったかというと、かなりあわてた様子が伝わってくる。草薙剣が戻ってくるというのが突然の話だったのだろうか。本社では受け入れ体勢が整っていないということで、一時的に置いておく場所が必要となった。
 それは、尾張氏一族の田島氏の邸宅だったという。
 熱田神社の大宮司が藤原氏になるのは平安時代中期のことで、それまでは尾張氏がずっと大宮司として守っていた。
 その田島邸に草薙剣を置いておく部屋として作ったのが影向間だった。
 影向(ようごう)というのは、神仏が仮の姿をとって現れることをいう。
 よく似た意味で権現(ごんげん)は神が仏などの姿を借りて現れることをいう。影向はもっと広い意味で神仏が現れることで、姿を見せないこともある。
 この場合、熱田大神である草薙剣を仮に安置する部屋ということで影向間(ようごうのま)と呼んだのだろう。それが後に社名としてそのまま使われることになった。
 影向は通常「ようごう」と読むのだけど、熱田神宮のサイトでは影向間社に「ようごのましゃ」とフリガナを振っているから、「ようご」と読ませるようだ。

  熱田社本社の修造が完了すると草薙剣は本社に戻された。しかし、影向間社はそのままとされ、代々邸宅内で祀られていた。
 明治になって現在の白鳥二丁目に移されたという。
 それにしても、草薙剣が盗まれてから戻ってくるまでの18年の間に熱田社に何があったのだろう。御神体をなくしてすっかりやる気を失ってしまったとでもいうのか。
 18年程度で神社がまったく荒廃するとも思えない。本社を新たに建て直すにしても修繕するにしても、他にもいくらでも仮置きする社などがあったはずだ。わざわざ境外の神職宅にとどめおく理由が分からない。ここにも何か大きな秘密がありそうだ。
 現在、マンションの一角にあると書いたけど、以前はこのマンションの敷地が境内で、今ある小さな社が隅っこにぽつんと置かれるような格好だった。
 マンション建設中に熱田神宮境内に遷されたという話があるのだけど、今は元の場所に戻っている。
 同時に熱田神宮境内にも影向間社がある。車祓いをしているところの入り口を入ってすぐ北だ。
 遷ったのではなくもともと境内と境外の両方あったということだろうか。そのあたりの事情がちょっと分からない。

 熱田神宮には酔笑人神事(えようどしんじ)というちょっと変わった神事が伝わっている。
 5月4日の午後7時。白装束の16人の神職がおっほっほっほ、わっはっははと笑うというものだ。
 これは草薙剣が戻ってきたことを喜んだ故事にちなんだものという。
 その神事が最初に行われるのが影向間社で、続いて神楽殿前、別宮前、清雪門前でも同じことが行われる。
 清雪門は道行が草薙剣を盗んだときに通ったとされる門で、以降不吉だからということで開かずの門とされている。その清雪門があったのは熱田本社ではなく八剣社だったという話があり、そのことも言い出すと話がややこしくなる。

「名古屋市史」は影向間社についてこう書いている。
「影向間社は鎮皇門外の政所内にあり、祭神は大宮の神と同体にして、大宮危急の時の立退所とす」
 まさか、マンションの一角にあるちっぽけな社が熱田大神の危急のときの避難所だと思っている人はほとんどいまい。そんな重要な社がこんな扱いでいいのだろうかと思ったりもする。
 熱田神宮を理解するためには、こうして外堀を少しずつ埋めるようにしていくしかないのかもしれない。
 

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

 

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