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波寄神社

波が寄せていたのは遠い昔

波寄神社

読み方 なみよせ-じんじゃ
所在地 名古屋市熱田区波寄町22番1 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 不明
アクセス 地下鉄/名鉄/JR「金山駅」から徒歩約9分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 波寄(なみよせ)とはまたロマンチックな響きを持つ神社だ。
 これは神社がある波寄町から来ている。波寄の由来は、文字通り波が寄せる場所というところから名付けられたという説が一般的なようだけど、詳しいことは分からない。
 地形を見ると、ここは熱田台地中央部の東縁に近く、東にある瑞穂台地との間は海が深く入り込んでいたところと考えられている。その奥まったところということで波寄と呼ばれたというのはあり得ることだ。
 ただ、そこまで古い地名かといえばその可能性は低そうだ。古くは浪寄とも表記したので、波のように起伏のある地形が由来かもしれない。
 波寄町は大正14年(1925年)に南区熱田東町の一部より成立した。

 神社本庁に登録しているのに『愛知県神社名鑑』には載っていない。何か事情があるのか、うっかり取りこぼしてしまったのか。
 調べても情報がなく、創建時期も、祭神も、何も分からない。
 神明鳥居で神明造だとしても、神明社とは限らない。
 中央に大きめの社があり、左右にやや小さめの社がある。少なくとも三柱の神を祀っていることだけは分かる。
 近所の方との立ち話情報によると、昔は別の場所にあったものをここに移してきたらしい。それがいつでどこから移したのかといった詳しいことまでは知ることができなかった。すぐ北を走る中央線の線路と関係があるような話だった。

 今昔マップの1888-1898年を見ると、明治中頃までは神社があるあたりはまだ田んぼが広がっていたことが分かる。
 1920年(大正9年)の地図では線路が増えて、浪寄の集落ができている。一本は中央本線で、1911年(明治44年)に八王子 – 名古屋間が開通した。もう一本は兵器製造所の専用線だ。
 波寄神社が移されたとしたら、明治末から大正初めにかけてのことだろうか。線路の敷設に伴って民家も影響を受けて移ったのではないかと思う。
 その後、昭和19年(1944年)に名鉄本線が開通し、金山駅が波寄町にできた(後に金山橋駅と改称)。波寄町は駅前としてそれなりの賑わいを見せるようになる。
 ただ、平成元年(1989年)にJRと名鉄と地下鉄が一体化した金山総合駅が現在地に完成すると金山橋駅は廃止となり、波寄町の賑わいは消えた。
 今昔マップでは最後まで波寄町に鳥居マークは描かれない。

 このあたりまで波が寄せていたのは遠い昔のこと。でも、縄文時代の人たちは確実にその風景を見て波音を聞いていた。金山駅周辺は縄文から弥生時代にかけての遺跡密集地帯だ。
 町名の由来がどうであれ、波寄の地名は遠い昔の記憶を今に伝える。

 

作成日 2017.8.12(最終更新日 2019.9.4)

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