大瀬子秋葉神社・軻具突智社

大瀬子一帯は秋葉神社だらけ

大瀬子秋葉神社

読み方 おおせこ-あきば-じんじゃ/かぐつち-しゃ
所在地 名古屋市熱田区大瀬子町 地図
創建年 不明
社格等 十五等級
祭神

軻具突智神(かぐつちのかみ)

アクセス

・地下鉄名城線「伝馬町駅」から徒歩約15分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 熱田区の大瀬子公園(地図)周辺に、いくつもの秋葉神社があって何事だろうと思う。
 北の白鳥橋から南の大瀬子橋にかけて、短い間隔で4つの秋葉神社と1つの軻具突智が並んでいる。すべて軻具突智神を祀る神社なので、軻具突智社も秋葉神社だ。秋葉神社となっているうちの一社も登録は軻具突智社になっているようだ。
 何故、このエリアにこれほどたくさんの秋葉神社が必要だったのか。火の神であるカグツチ(火之迦具土神)を味方に付けることで火事を防ぎたいという願いを込めたものだったのだろうということは分かる。けど、こんなにたくさん必要だっただろうかという疑問は消えない。

 現在、大瀬子公園となっている場所は、江戸時代以前から魚市があった場所だ。熱田湊を押さえていた信長も、ここから清洲まで魚を運ばせていたという。
 江戸時代に入って堀川が整備されると、尾張藩はここに魚市場を作った。藩指定の六軒の問屋が各地から船や陸路で運ばせた魚介類を集め、ここで売りさばいていた。
『尾張名所図会』でも、ものすごくにぎわっている様子の絵が描かれている。
 朝市と夕市が毎日行われ、名物多く、人々が押しかけ大繁盛していると伝える。
 東は熱田神宮の門前町であり、東海道の宮宿(みやしゅく)があった。宮の渡し(地図)はそのすぐ南だ。

 これらの秋葉神社がいつ建てられたのかははっきりしない。当初は屋根神様に近いものだったかもしれない。
 屋根神様というのは名古屋や美濃地方特有の風習で、文字通り家の屋根の上に祠を乗せて神を祀るというものだ。家の中の神棚とは違って町内や隣組といった単位で守り、祭祀を行う。
 名古屋で屋根神様が始まったのが明治10年頃といわれており、明治30年~40年代くらいが最盛期だったようだ。
 津島の天王社、秋葉社、熱田社の三点セットが基本形で、伊勢の神宮が祀られることもある。
 ただ、ここらの秋葉神社は、明治6年に据置公許となっていることからして、建てられたのは江戸時代だったようだ。
 熱田神宮すぐ南にある秋葉山円通寺地図)とも無関係ではないと思われる。熱田神宮創建の際に神宮寺として秋葉山を祭ったのが始まりで、白山を開いた泰澄や、弘法大師空海の名前も出てくる古刹だ。
『尾張名所図会』の補陀山円通寺の項に秋葉社の説明がある。
「当社にて鐵火打(てつひうち)を請(う)けてこれを用ふれば、火災の恐なしとぞ。羽休(はねやすめ)の文字を其火うちにしるせり」と書いている。
 場所柄からしても、この円通寺の秋葉社から勧請して建てたのが大瀬子一帯の秋葉神社や軻具突智だったのではないだろうか。
 道沿いの5社以外にも、路地を入っていくと秋葉社の小さな祠や屋根神様もあるようだ。昔はもっとたくさんあったらしい。

 5社の位置については以下の通り。
 北から、
・田中町の秋葉神社(地図
・木之免町の秋葉神社(地図
・大瀬子公園南の秋葉神社(地図
・大瀬子町の秋葉神社(地図
・大瀬子橋近くの軻具突智社(地図

 5社のうち愛知県神社庁に登録しているのは4社だと思う。いずれも旧無格社で十五等級、明治6年に据置公許になっている。
 木之免町の秋葉神社については少しだけ情報がある。名古屋城築城の際に運び込まれた礎石の一部を譲り受けて社殿の台石などにしたというものだ。
 この話からすると、創建時期は思っている以上に古い可能性もある。

  かつて円通寺では、縁日の日だけでなく毎月1日と15日には秋葉山の神事が行われ、見世物小屋なども開かれたそうだ。
 大瀬子の秋葉神社でもそれにならって社殿の前でかがり火を焚き、お祭りをしていたという。
 年々それも行われなくなったものの、現在でも12月16日の秋葉祭のときはかがり火を焚いたり、子供たちの太鼓隊が町内を練り歩くそうだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

熱田の大瀬子一帯は秋葉社の密集エリア

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