神明社・土之宮合殿

つちのみやか、ひぢのみやか

土之宮神明社

読み方 しんめい-しゃ つちのみや -あいどの
所在地 名古屋市中川区助光1-106 地図
創建年 不明
社格等 村社・十四等級
祭神

埴安比咩神(はにやすひめのかみ)
天照大御神(あまてらすおおかみ)

アクセス

・近鉄名古屋線「伏屋駅」から徒歩約5分
・駐車場 なし

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オススメ度

 土之宮神明社という名前の神明社かと思ったら、神明社と土之宮の合殿だった。
 それぞれの創建がいつで、いつ合殿になったのかは不明。
『尾張志』の海東郡の社一覧の中に、「神明ノ社 助光村にあり土宮神明と云」とあるので、江戸時代にはすでに一体化していたことが分かる。
 続けてこう書く。
「文明十一己亥年九月の棟札あり」
 文明11年は西暦でいうと1479年だ。戦国時代にはすでにこの神社があったということになる。

 神社入り口の社号標の土之宮の土は点ありの「圡」になっている。
 ヒヂは泥を意味する古語で、圡は「ヒヂ」と読む。
 中村区の土江神社の土も点ありで「ひじえ」神社だし、中区には泥江縣神社(ひじえあがたじんじゃ)もある。
 だとすればここも、「つちのみや」ではなく「ひぢのみや」だった可能性がある。

 土之宮は伊勢の神宮の外宮にある別宮・土宮(つちのみや)が関係していると考えていいだろうか。
 外宮の土宮は、もともと外宮がある山田の原の地主神である大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を祀っている。
 伊勢の外宮ができる前からあり、外宮が鎮座して以降、地主神、宮川堤防の守護神とされ、平安時代末に別宮に昇格したという。
 大歳神、宇迦魂神、土御祖神を祀るという話もある。
 三河湾に浮かぶ離島、篠島は古くから伊勢の神宮との関わりが深く、島にある神明社はかつて伊勢土之宮と称していた。
 ここでも、大土御祖神、大歳神、宇迎之御魂神を祀っている。

 助光(すけみつ)の土之宮が伊勢の神宮と関係があるのではないかという推測には根拠がある。
 それはこの地が伊勢の神宮領だったからだ。一ッ楊ノ御厨と呼ばれ、その範囲は中村から岩塚、八田、高畑、荒子、下之一色、本郷などを含む広い範囲だったと考えられている。
 中村区、中川区は特に神明社が多いところで、それもひとつの裏付けとなるのではないか。
 ここ助光の土之宮神明社は、内宮の神明社と外宮の土之宮があわさっているということで、特別な神社に位置づけられていたのかもしれない。

 ただ、現在の祭神が大土御祖神、大歳神、宇迎之御魂神ではなく埴安比咩神(ハニヤスヒメ)であるということからすると別の可能性も考えられる。
 ハニヤスヒメは、イザナミがカグツチを産んで女陰に火傷を負って苦しんでいるときに脱糞した大便から生まれたとされる。
 その連想から土、または粘土の神といった性質を持つようになった。
 男神のハニヤマヒコ(埴山彦)と対で祀られることもある。
 土之宮ではなく土に点ありの圡之宮で、土の女神であるハニヤマヒメを祀っているというのであれば、土地の守り神として古くからこの地に祀られていた地主神だったかもしれない。
 この神社があるのは庄内川が蛇行している右岸近くで、川は何度も氾濫したに違いなく、庄内川から村を守る神として祀ったと考えた方が自然かもしれない。
 それが後年、伊勢の関係もあって神明社とあわせて祀られることになったという流れを想像する。
 実際のところは分からない。

 境内に「福留将監古城跡」の石碑が建っている。
 すぐ北に隣接する称円寺のあたりに助光城があったと考えられている。
 福留右近将監については織田信長の家臣だったということくらいで詳しいことは分からない。
 庄内川の東の荒子は、前田利家を生んだ系統の前田氏の拠点だった。
 前田城や下之一色城などがあったとされるも、そのあたりもよく分かっていない。

『愛知縣神社名鑑』の特殊神事の項に御鍬祭というのがある。
 60年ごとに行われる祭りで、文政十年、明治十九年、昭和二十年月にそれぞれ執行されたと書かれている。
 文政十年は1827年、明治19年は1886年、昭和20年は1945年。平成17年の2005年前後にも行われたのかどうかは書かれていない。
 次回は2065年。 あるか、ないか。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

土之宮神明社にかすかに感じた古社の残像

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