名古屋駅前、広小路通の笹島交差点(地図)を東に進んで柳橋交差点(地図)を過ぎて一本目を北に入ったところに、この小さな神社はある。 津島社のつもりで出向いていくと少し戸惑う。入り口にある社号標の石柱三面にそれぞれ「津島神社」・「秋葉神社」・「熱田神社」と彫られているからだ。 一体ここは何神社だ? と思う。 神社本庁への登録は津島社になっているから、津島社には違いない。ただ、熱田神と秋葉神も一緒に祀っているようで、そのために三面社号標ということになったのだろう。 この組み合わせは名古屋地区に見られる屋根神の典型的なパターンだ。 尾張の中心的な神社である熱田神宮(web)を真ん中に、左右に津島社と秋葉社を配して、疫病除けと火防を願う。 屋根神というのは文字通り屋根の上に祠を置いて祀るというやり方で、明治から昭和初期にかけて名古屋を中心に尾張、三河、美濃地方などで流行した。現在でも市内に一部が残っている。 津島社を単独で祀ったり、熱田社の代わりに伊勢の神宮(web)を祀ることもある。 この津島社はもともと津島社を祀っていたところに熱田社と秋葉社を加えたのかもしれない。
江戸時代のここは廣井村だった。現在の名駅1丁目から5丁目が当時の村域だ。 『寛文村々覚書』(1670年頃)、『尾張徇行記』(1822年)、『尾張志』(1844年)にこの神社に相当するような社は見当たらない。 当時は牛頭天王を祀る天王社だっただろう。 昭和の町名でいうと、ここは東柳町になる。 神社の西を南北に走る江川線は、かつての江川の流路だ。道路を作るために暗きょ化され、後に下水道になった。 柳橋交差点は江川に架かっていた柳橋から来ている。 広小路通の南には東西を結ぶ柳街道があり、それは街道沿いの柳並木から名付けられたという話もある。 江川の東が東柳町、西が西柳町と呼ばれていた。 かつて江川に沿って市電江川線が走っていたことを覚えている人も少なくなっただろうか。上江川線は昭和46年に、下江川線は昭和49年に廃止になった。 広小路通も市電が走っていた。 神社がある名駅5丁目は、大船町、小鳥町、花車町、東柳町、広小路西通、船入町の各一部から成立した。こういった風情のある町名がなくなってしまったのは残念だ。
『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。 「古くから東柳町内産土神として崇敬あつく明治制度改めにより、廃社となるも、町内にて維持。年毎の祭り絶やすことなく奉仕する。明治12年、念願叶い復旧公許となった」 明治の神仏分離令で廃社になったにもかかわらず町内会で守り続け、明治12年に公許になったらしい。こういうケースもあったようだけど、あまり多くはない。
今でこそビルとビルとの間にこそっと挟まったように鎮座する小さな神社ではあるけれど、以前は鎮守の杜を持つもっと大きな神社だったという。 それでも手入れは行き届いていて気持ちがいい。参拝に立ち寄る人の姿も見た。町内で守るというのは今も続いているのだろう。 そういう存在の神社は、たまたま立ち寄っただけのよそ者の心もほっこりさせてくれる。
作成日 2017.7.28(最終更新日 2019.5.2)
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