神明社(七反野)

何故、國常立命だったのか?

七反野神明社

読み方 しんめい-しゃ(しちたんの)
所在地 名古屋市七反野2丁目1106 地図
創建年 不明(1640年頃とも)
旧社格・等級等 村社・十四等級
祭神 國常立命(くにのとこたちのみこと)
熱田大神(あつたおおかみ)
アクセス 近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約60分
七反野バス停留所」から徒歩約9分
駐車場 なし
webサイト  
オススメ度

 福田新田を開発した鬼頭景義が、海岸堤防を締め切った後、その北側に國常立命を祀ったのが始まりと社伝はいう。それが1640年(寛永17年)だったとしている。
 しかし、干拓による新田開発は数年を要す工事で、1640年は工事を始めた年のはずだから、その年に堤防を締め切ることができたかどうかというとやや疑問だ。福田新田の完成は1643年(寛永20年)とされている。
 ただ、鬼頭景義がこの神社を建てたということは間違いなさそうで、創建年については1640年かもしれないし、その数年後かもしれない。
 ここでも國常立命(クニノトコタチ)が出てくる。春田野神明社東蟹田神明社がそうであったように、どうやら鬼頭景義は國常立命に対する特別な思い入れがあったらしい。伊勢の神宮(web)から勧請したというのだけど、それはおそらく外宮からで、江戸時代前期の人にとって伊勢の外宮といえば國常立命という認識があったのだろうか。豊受大神=國常立命だったのか、それはまた別だったのか、そのあたりがよく分からない。
 当初から神明社を称していたかどうかも分からない。この神社は相殿に熱田大神を祀っている。鬼頭景義によるものなのか、後世の人間によるものなのか調べがつかなかった。

『尾張志』(1844年)の東福田村の項を見るとこうなっている。
「神明ノ社三社 山神ノ社 熱田大明神ノ社二所 六社共に福田新田村にあり」
 神明社3社のうちの1社なのか、熱田大明神社2社のうちの1社なのか、判断がつかない。

『尾張徇行記』(1822年)はこんな記述になっている。
「大明神三社界内一反一畝十五歩前々除 蔵屋敷九畝除地」
「横井村祠官二村長門守書上帳ニ、東福田新田ノ内神明祠 此社ハ寛永十九年勧請也
 山ノ神社 此社ハ寛永二十一年巳年勧請也」
「中ノ郷村祠官高羽但馬守書上帳ニ、福田新田七段ノ割神明大明神二社」
 これだけの情報でははっきりしたことは分からない。

『愛知縣神社名鑑』はこう書く。
「創建は明かではない。七反野鎮守の神として崇敬あつく明治5年7月、村社に列格する。昭和63年9月、社務所・神楽庫を改築した」
 ひとつ気になるのは、本殿は流造となっている点だ。『愛知縣神社名鑑』は古い情報を元に書かれているので、現状とは違っている部分が多いのだけど、単なる間違いなのか、実際に流造だったことがあったのだろうか。現在は神明造になっている。
 この神社は第二次大戦の空襲で全焼しているから、戦後に建て直すときに神明造にしたとも考えられる。

 七反野(しちたんの)の由来については、田んぼの単位である「反」に基づいて田を区切ったところから来ているという説と、鬼頭景義が七反歩を神社に与えたからという説がある。
 鬼頭景義が田を与えたという話はありそうだし実際にあったのかもしれないけど、七反野の「野」が気になる。五反田という地名があるように、それなら七反田の方が自然だ。
 由来は別の理由かもしれない。

 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、七反野集落の南側に神社があったことが分かる。
 南側の道が福田新田開発当時の海岸堤防だ。東の新川と西の戸田川からそれぞれ堤防を伸ばしていってぶつかったのがこの場所で、ここで堤防が締め切られた。神社はそのすぐ北側ということになる。
 神明社の鳥居マークの他に南側にも鳥居マークが描かれている。現在、七反野地蔵堂がある場所だ。小さな社もあるのだけど、これのことを示しているのだろうか。この鳥居マークは1976-1980年の地図から卍マークに変わる。
 地蔵堂は工事で命を落とした人たちの霊を慰めるために建てられたものだ。その後に建てられたお堂や作られた仏像なども集められているのだろう。お堂には阿彌陀如来・善光寺・西国三十三観音、地蔵菩薩、釈迦如来・薬師如来・弘法大師と書かれた札が掛けられている。中には阿弥陀如来像や観音像などが安置されている。
 七反野集落については戦後まで状況はあまり変わらない。1960年代以降に少しずつ民家が増えて田んぼが減っていった。
 1980年代になると、北の七反野1丁目に田んぼを残し、2丁目は住宅地になった。
 1990年代には、北の1丁目にもほとんど田んぼはなくなった。

 東福田新田の神明社3社で國常立命が祀られているのは鬼頭景義が関わっているようだ。しかし、何故、東福田新田だけがそうだったのかの理由が分からない。同時進行で鬼頭景義が開発した西福田新田で國常立命を祀る神明社はない。鬼頭景義は他にも中島新田や熱田新田など、27ヶ所の新田を開発しているけど、それらの新田村の神社で國常立命が祀られている例は私の知る限りない。
 その理由に関しては調べようがなく、私としては疑問を呈すのみにとどまる。
 鬼頭景義や江戸時代前期の新田村に暮らす人たちにとって國常立命とはどんな存在だったのだろう。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

國常立命を祀る干拓新田の守り神、七反野神明社

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