瑞穂区南部、南区との堺を流れる山崎川の岸辺に秋葉社が点在している。かつては川岸や堤防上にたくさんの社が建てられたそうだけど、近年そういう神社は堤防工事に伴って移されたものがほとんどで、川岸に今もある神社はそれほど多くない。 どうして新瑞橋から妙音通、呼続にかけてだけ多く残っているのか理由はよく分からない。水の神でなく火の神であるカグツチを祀る秋葉社というのもちょっとした謎だ。 このあたりの秋葉社がいつ誰によって建てられたかはよく分からない。 河岸町の秋葉神社があるのは、江戸時代は井戸田村だったところだ。その外れにあった小さな集落で、川岸端と呼ばれていた。井戸田村の支村という位置づけだったようだ。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、江戸時代からの名残が見てとれる。 河岸町の秋葉神社は河岸町1丁目から4丁目の有志によって建てられたものだと『瑞穂区の歴史』は書いている。 現在の社殿は昭和4年(1929年)に修造されたものというから、建てられたのはそれ以前ということだろう。 讃岐から金毘羅宮も同時期に勧請したようだ。 『瑞穂区の歴史』は「秋葉金刀比羅神社」としている。 かつてはこのあたりも船が行き来していたというから、航海の守り神として祀られたのだろう。 河口から5キロ近く離れているのに潮の香りが強い。このあたりまで海水が来ているのかもしれない。 瑞穂区から南は古代は海で、山崎川や精進川が運んだ土砂で陸地化するとともに、江戸時代に入ってから干拓で埋め立てられてできた土地だ。陸になってからそれほど長い年月が経っていないことを思えば、まだ海だった頃の記憶をとどめているということだろう。
昭和53年(1978年)に奉賛会ができたというから、今もその人たちがお世話をしているだろうか。もしくは町内の方が日々の掃除などをしているのかもしれない。境内はきれいに整っている印象を受けた。 近くの住人にとってさえ、こういう小さな神社を普段あまり気にも留めずに暮らしているだろうけど、実は意外と効いているような気がする。 それは神どうこうを抜きにしても、社という一種の入れ物にたくさんの人たちの思いや願いがこもっていて、それが土地に対して良い影響を与えているであろうからだ。 目には見えないし、多くの人はそんなものを信じないかもしれないけど、良い念が集まればこの世界に良い影響を与えるし、逆なら逆の影響が出るのは自明なわけで、神社というのは良い念を集める装置の役割を果たしていると私は考えている。 祭神どうこうではなく、神社という存在そのものがこの世における人の良心の表れなのだということを知らなければならない。
作成日 2017.9.22(最終更新日 2019.3.28)
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