神明社(法華)

法華村の外からやって来た神社か

神明社(法華)

読み方 しんめい-しゃ(ほっけ)
所在地 名古屋市中川区法華1丁目253 地図
創建年 1639年(江戸時代前期)
社格等 村社・十四等級
祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
 アクセス

・あおなみ線「中島駅」から徒歩約32分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 南は東起村、東は中島新田という位置関係の法華村(ほっけむら)だった場所だ。
 しかし、もともとここに建てられた神社ではないようだ。
 江戸時代前期の『寛文村々覚書』には「法花村」という表記が使われており、神社の記載はない。
 江戸時代後期の『尾張志』にも法華村の神社は出ていない。
 同じく江戸後期の『尾張徇行記』にはこうある。
「農家七分通り程は日蓮宗門の徒なり、されば日蓮宗の寺両寺ありて村中に神祠なし、法華村と名でくるも宜なり」
 つまり法華村には日蓮宗の寺があって神社はなく、村民の多くが日蓮宗の信者ということで法華村と名付けられたというのだ。
 ただ、この神社は記録をしっかり残しているところで、創建や修造のいきさつがわりと詳しく伝わっている。
『愛知縣神社名鑑』はこう書く。
「社蔵の棟札に寛永十六年(1639)に創建とあり、文政十一年(1828)に修復する。村内安全、五穀豊穣の神として尊崇あつく、明治5年7月村社に列格した。明治37年社殿を改修、昭和3年社殿を改修 昭和48年本殿を造営。昭和60年拝殿、神楽殿を修復する」
 創建されたのが1639年というのであれば、1670年成立の『寛文村々覚書』に載るはずだし、『尾張志』、『尾張徇行記』にも出ていないということは、江戸時代にはここになかったということだ。明治以降にここに移されたと考えていいのではないかと思う。
 修造の記録がしっかり残っているのに遷座の記録が伝わっていないというのは少し解せないのだけど。
 ちなみに、法華村の由来について『尾張国地名考』の津田正生はこう書いている。
「【近藤利昌曰】村の内に法華堂あり此故にいふなるべし」
 いずれにしても、日蓮宗や法華堂などから村名が来ているのは間違いなさそうだ。こういう例はあまりない。

 法華経(ほけきょう/ほっけきょう)の正式名は、『妙法蓮華経』だ。
 サンスクリット《サッダルマプンダリーカ・スートラ》の訳で、紀元前後にインドで成立したと考えられている。
 日本では日蓮宗と天台宗の中心聖典となった。
 606年に聖徳太子が法華経を講じたと『日本書紀』は書いている。
 法華経の教えというのは、皆この世に生を受けたものは素晴らしい能力を持っていて、正しい心で生きて仏になりましょうといったものだと、私は解釈している。
 その教えというのは、仏教でも神道でも本質的には変わらないものだ。だから分けて考える必要もなく、日蓮宗の信者が神明社に参拝しても何の不自然もないし、その逆ももちろん問題ない。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

法華の神明社はいつから法華にあったのか

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