旧木曽街道沿いの清水にある神社。正確に言うと神社とは言い切れない。 鳥居の額に「最上位経王大菩薩」と書かれている。「もがみ」ではなく「さいじょうい-きょうおう-だいぼさつ」と読む。 では菩薩を祀っているのかというとそうとも言えず、なかなかややこしい。
名古屋で最上稲荷を祀る単独の神社(とりあえず神社としておく)はここくらいではないかと思う。非常に馴染みが薄い。 総本山は岡山県岡山市にある最上稲荷山妙教寺(web)で、岡山県では初詣客が一番多いというから西日本では有名なのだろう。高松地区にあることから高松稲荷とも呼ばれており、岡山県一帯では伏見稲荷大社(web)、豊川稲荷(web)と並んで日本三大稲荷のひとつと称している(佐賀県の祐徳稲荷神社(web)も三大稲荷のひとつとされることが多い)。
妙教寺というくらいだからお寺には違いない。ただ、ここは明治の神仏分離令を逃れて現在に到るまで神仏習合が続くという特殊な位置づけの寺院となっている。そのため鳥居もあれば本殿もあり、神仏習合の祭祀形態も残っている。 創建は奈良時代までさかのぼる。752年、孝謙天皇の病気平癒の勅命を受けて報恩大師が吉備山で祈祷して最上位経王大菩薩を感得したことで天皇の病気が治ったことに始まる。 平安時代には桓武天皇の病気も治したことで、天皇の祈願所として龍王山神宮寺が建てられた。これが妙教寺の前身となる。 戦国時代、秀吉の中国進攻によって兵火で焼けるも、江戸時代に入って花房職之が再興した。その際、天台宗から日蓮宗に改宗した。 明治になってどうして妙教寺だけが神仏分離を逃れることができたのかはよく分からない。 鳥居があり、仁王門があり、本殿の霊光殿があり、本堂があり、末社やお堂や像などもあるという混在状況になっている。江戸時代まではこれが当たり前の光景だったのだけど、今見ると違和感があるだろう。 久遠実成本師釈迦牟尼仏の本尊の他に、祈祷本尊である最上位経王大菩薩がある。最上位のお経である法華経の女神だ。 白狐にまたがる天女で、右手に鎌、左肩に稲束を背負っている姿は荼枳尼天(だきにてん)と同じ特徴を持つことから稲荷神とされた。 八大龍王や三面大黒天など77の眷属(けんぞく)を従えているとされる。 戦後の昭和29年(1954年)に最上稲荷教総本山妙教寺として独立。 平成21年(2009年)に日蓮宗に復帰した。
最上稲荷系統の神社(寺)の全国的な分布がどうなっているのかは分からない。独立した神社は少ないだろうけど、寺の中で祀っているところはけっこうあるのかもしれない。 清水の最上稲荷に関してはまったく情報がないため、いつ誰がここに建てたのかは分からない。予測することも難しい。 木曽街道自体は古い道ではあるのだけど、だからといってこの神社も古いとは限らない。 江戸時代から明治にかけて、ここは志水町(清水町)と呼ばれたところで、現在の神社がある場所は集落の北の端に当たる。 古ければ江戸時代だろうけど、明治かもしれないし、戦後の可能性もある。
境内の石碑には「秋山自雲霊神」と彫られている。 東京の浅草にある日蓮宗の本性寺の境内神で、痔に霊験あらたかとされる神様だ。 江戸時代中期、酒問屋岡田孫右衛門の手代・善兵衛は痔に7年も苦しめられ1744年に死去したのだけど、自分は死んだ後に霊神となって人々を痔から救うと誓いを立て、それが本性寺に祀られたのが始まりという。 最上稲荷も日蓮宗なので、その関係で清水の最上稲荷でも祀られることになっただろうか。 南無妙法蓮華経の石碑も境内にある。
神社といえば神社なのだけど、妙教寺では柏手は打たず合掌でお参りするそうなので、ここでもやはり合掌が作法ということになりそうだ。事情をよく知らないと普通に柏手を打ってしまうだろうけど。
作成日 2017.12.12(最終更新日 2019.1.11)
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