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天白神社(天白町)


大同特殊鋼とともに



天白町天白神社

読み方てんぱく-じんじゃ(てんぱくちょう)
所在地名古屋市南区天白町3丁目9-37 地図
創建年1945年頃?(昭和20年頃)
旧社格・等級等不明
祭神天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
アクセス名鉄常滑線「柴田駅」から徒歩約26分
駐車場 なし
その他例祭 10月
オススメ度

 天白神社といいつつ天白区ではなく南区の天白町にある。
 神社は昭和20年頃に建てられた新しいもので、南を流れる天白川から名前が取られたようだ。天白区も天白川から来ているとされる。
 天白町の成立は昭和25年で、鳴尾町の一部が独立した。天白町の町名も天白川から採られている。ただ、神社の方が先に建っていることからすると神社名から町名がつけられた可能性もある。
 境内にある「碑記」には「建立 昭和二十年(推定)」とある。推定?
 どうしてその時期、この場所に神社が建てられることになったのかは、少し順を追って説明必要がある。



 ここは江戸時代前期の1672年(寛文12年)に新田開発が行われて鳴海伝馬新田と名づけられた場所に当たる。
 鳴海伝馬新田については八幡社(要町)のページに書いた。
 その鳴海伝馬新田の西を更に干拓で陸地にして新田開発を行ったのが江戸時代中期の1757年で、そこは繰出新田(くりだししんでん)と呼ばれた。
 明治以降も農地だったこの地に大同特殊鋼の星﨑工場が進出してきたのが昭和12年(1937年)だった。これは日中戦争が始まった年だ。
 大同特殊鋼は大正5年(1916年)に名古屋電灯株式会社の製鋼部が独立して株式会社電気製鋼所が設立されたことに始まる。名古屋市東区に本社を置く特殊鋼メーカーだ。
 我々の身近なところでは、携帯電話やハードディスクのモーター用磁石などで高いシェアを誇っている。ハンドボール部が強いことでも一部で知られている。
 星﨑工場はかなり大規模な工場で、周辺には多くの住宅や社宅が建てられることになった。神社周辺もそうで、地域の発展と町の安全を願って、この天白神社が建てられた。
 ただ、昭和20年というのはないと思う。昭和19年から名古屋でも空襲が始まり、大同特殊鋼も攻撃目標とされて爆撃を受け、操業もままならくなっていた時期に神社を建てようという話にはならなかっただろう。
 神社自体は空襲で焼けたという話もなく、戦中も維持されていたというから、戦後すぐに建てられたわけでもない。となると、大同特殊鋼星﨑工場進出の昭和12年から昭和19年の間のどこかで建てられたと考えていいのではないかと思う。
 ちなみに、社名の大同は戦前の五大電力業者の一つだった大同電力の系列というところから来ている。
 設立者の
福澤桃介は福沢諭吉の婿養子で、日本初の女優といわれる川上貞奴を愛人としていたことでも知られる人物だ。二人で暮らしていた邸宅が東区橦木町に移され、二葉館旧川上貞奴邸(web)として一般公開されている。



「碑記」には「第二造営 昭和三十六年 伊勢湾台風水害により」とある。
 このあたりはもともと海を干拓して作った陸地ということで土地が低く、工場や周辺の住宅は2メートルほど盛り土をして建てたほどだった。
 昭和34年の伊勢湾台風では天白川が決壊して、河川流域は大きな被害と多数の犠牲者を出した。神社も無事では済まなかったはずで、修理をしたのが昭和36年だったということだ。



 祭神は最初から天照皇大神だったのだろう。ただ、どうして天白社だったのかは分からない。関係者が天白信仰の人だったとかそういうことだろうか。
 境内社として熱田神宮、多賀大社、北野天満宮、秋葉神社を祀っている。これらは戦後のものだろうと思う。
 ついでといってはなんだけど、天白の名前が出てきたので、天白について少し書いてみることにしたい。



 天白川の由来は、天白大明神を祀る天白社があったことから来ているとするのが定説となっている。天白橋のたもとにあったとか、緑区三王山の山王社の中に天白社があったなどとされるも、そのあたりははっきりしない。
 天白大明神とは何か? 天白信仰とは何か? その問いに対して明確に答えるのは非常に難しく、何人もの人が調査研究を行っても結論は出ていない。ただ、いくつかの系統があり、混在があり、変遷があったことが分かってきている。
 ひとつの特徴として、河川の下流や海岸近くで祀られていることが多いというのがある。
 もうひとつの特色としては、信州の諏訪地方に色濃いというのがある。
 分布としては本州の東日本に限られ、長野県、静岡県を中心に、岩手県を北限とし、三重県伊勢志摩地方を南限としている。
 その正体については諸説あってはっきりしないのだけど、気になるキーワードとして星神というのがある。
 ただ、星神とするには地域が限られており、水辺に多いことの説明がつかない。
 河川や海岸の守り神とするにしてもどうしてそれが諏訪地方や伊勢志摩なのかが分からない。
 非常に古い信仰があり、それに民間信仰が融合したという話もある。ミシャクジ信仰との共通点や融合なども指摘されている。
 しかしながらそれならどうしてミシャクジ信仰のように残らなかったのかということが謎となる。社宮司社や西宮社などは名古屋市内にもけっこう残っているのに対して、天白信仰はほぼ絶滅している。天白という地名としては残ったものの、天白信仰にまつわる天白社というものはほとんど現存していない。
 天白川は縄文海進で海が内陸深くまで入り込んだものが引いて川となったもので、天白川流域は天白川が運んだ土砂によってできた沖積地だ。
 そういう歴史と天白信仰は関係があったのかどうなのか。天白川上流ではなく河口近くに祀られたことに意味はあったのかなかったのか。
 近年は伊勢土着の麻積氏の祖神である天白羽神(あめのしらはのかみ)から来ているのではないかという説が有力視されているようだけど、そうだとしたらあまりにも痕跡が少なすぎるような気もする。
 発祥が伊勢にせよ諏訪にせよ、伝わっていく過程で時代とともに信仰が変遷していったといえばそうなのだろう。
 天白信仰は縄文までさかのぼる古い信仰で、新しい信仰に打ち消されていって残らなかったという説には惹かれるものがある。
 現在でも長野、山梨、静岡あたりには天白社が現存しているので、完全に消えたわけではない。天白がつく地名もけっこう残っている。
 天白神、天白信仰の分布や傾向について知るための手がかりとして、三渡俊一郎『謎の天白』(昭和57年)は参考になると思う(名古屋市千種図書館蔵)。
 天白信仰はよく分からないというのが結論になるのだけど、個人的にはもう少し追いかけてみたい。




作成日 2018.2.24(最終更新日 2019.8.20)


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