白山神社(丸の内)

泥江縣神社と切り離されて独立した

丸の内白山神社

読み方 はくさん-じんじゃ(まるのうち)
所在地 名古屋市中区丸の内一丁目15番18号 地図
創建年 不明
社格等 村社・十二等級
祭神

菊理媛命(くくりひめのみこと)

 アクセス

・地下鉄鶴舞線「丸の内駅」から徒歩約5分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 創建年は不明。加賀国の白山比咩神から勧請したと伝わる。
 読み方は「はくさん」だと思うのだけど「しらやま」かもしれない。
『愛知縣神社名鑑』によると、「元白山権現と称した。創建は明かではないが、応永・永禄の頃(1394-1569年)は泥江縣神社の境内続きの末社であったが、慶長十七年(1612)検地の際境内二分せられた」とのことだ。
 現在、桜通に面する北側にこぢんまりとある神社が室町前期もしくはそれ以前から建っていたと思う人は少ないんじゃないだろうか。
 泥江縣神社は白山神社から見て桜通を挟んで200メートルほど南にある(地図)。かつて泥江縣神社は八丁四方(1丁は約109メートル)という広大な境内を持っていたという。
 しかし、末社の白山権現が本社よりも北側に位置していたというのはどういうことを意味するのだろう。もともと独立した神社だったのが泥江縣神社に取り込まれたということだろうか。
 泥江縣神社の創建は平安時代前期の859年とされているのだけど、白山権現がそれより古いということはあり得るのか。
 慶長検地で境内を二分させたというのもどういう事情だったのだろう。

 このあたりは名古屋城下の碁盤割になった地区で、町人の町だった。
 現在の桜通は桜ノ町筋、その一本南の伝馬町通りは伝馬町筋と呼ばれていた。
 白山権現の一本北の通りが杉の町筋で、南の伝馬町筋までが上材木町(うわざいもくちょう)だった。
『尾張志』にも「白山ノ社 材木町にあり」とある。
 上材木町の他に、下材木町、元材木町があった。
 ここは清洲越しで移ってきた人が作った町ではなく、京都あたりから引っ越してきた人たちが集まる町で、当初は京材木町と称していたという。
 町の西にある堀川の水運を利用する材木商が増えて、上、下、元の材木町ができた。
 材木屋の称号を名乗れるのはこの3つの町だけで、他は板屋、白木屋などと称していたそうだ。

『尾張志』は白山社についてこう書いている。
「祭神三座 菊理姫神を中座とし 左 伊弉冉ノ神 右 黄泉守道(ヨモツチモリ)ノ神也といへり 是は神名式に加賀国石川郡白山比咩ノ神社を移して祭れるやしろなり 勧請の年月しりかたし もとは廣井八幡の社地と連続(つづき)たる境内にて年中の神供調進をはしめ萬の事ともかの八幡の社より掌りしよし也」
 現在の祭神はククリヒメ(菊理姫命)のみ一柱としているけど、江戸時代の認識ではイザナミ(伊弉冉ノ神)と黄泉守道の三柱を祀ると考えていたようだ。
 黄泉守道者(ヨモツモリミチヒト)は、イザナギとイザナミがモメているとき仲裁に入ったククリヒメと一緒に登場する黄泉の国へと通じる道の番人だ。『日本書紀』の一場面でしか登場しないという点ではククリヒメと同じなのだけど、知名度は低く、神社で祀られている例はあまりないと思う。
 どうして白山社はイザナミとヨモツモリミチヒトを祀るのをやめてしまったのだろう。明治の神仏分離令で白山権現から白山神社に改称したときにそうしてしまったのだろうか。

『尾張志』では秀吉と大楠に関するエピソードを紹介している。
「境内にいと大樹の楠ありしを太閤秀吉公朝鮮征伐のとき軍船の用材にせむとて伐せられけるに人夫多く疵を蒙りしかは其木を社司に寄られてさて其事止られけるとそかくて後にかの楠木にて地蔵の像を令彫たり そは今南寺町なる徳林寺にありといへり」
 白山権現の境内にあった大きな楠を、朝鮮出兵のときに使う軍船の用材として使うため切り倒したところけが人が続出したのでやめた、といった話だ。
 秀吉の夢に童子が現れてその楠で地蔵菩薩を彫れば願いが成就するだろうと告げたためその通りにして極楽院に納めたという話もある。
 極楽院は退廃してしまったため地蔵菩薩はよそへ流れて、今は徳林寺にあるとしている。
 南寺町というのは今の白川公園(地図)あたりで、たくさんの寺が集められていたためそう呼ばれた。今の新栄にあった東寺町(地図)同様、家康によって作られた軍事的防御機構という面があった。
 徳林寺がその後どうなったかは分からない。

『尾張名所図会』にちょっと気になる記述がある。
「旧地は愛知郡中島村にありしと、張州志略にありと」
『張州志略』は富梁堂吉兵衛による地誌なのだけど、愛知郡中島村というのは中村区の中島村のことだろうか。
『尾張徇行記』でもこのことが書かれているものの、確かな話として信じていいのかどうか判断がつかない。

 境内は狭いながらも天神社、少彦名神社、疱瘡神社、恵比須宮、松尾宮、神明宮、山神宮、秋葉宮、金毘羅宮と多くの境内社があり、白玉稲荷社も隣接している。
 戦前までは境内が173坪あったというから、ちょっとした一軒家くらいの広さだったようだ。江戸時代は当然もっと広かったに違いない。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

都会に生きる丸の内白山神社

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