星神社(上小田井)

まつろわぬ神カガセオを祀る

中小田井星神社

読み方 ほし-じんじゃ(かみおたい)
所在地 名古屋市西区上小田井1丁目172 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 村社・十一等級・式内論社
祭神 天香香背男神(あめのかがせおのかみ)
牽牛星(けんぎゅうせい)
織女星(しょくじょせい)
大名持命(おおなもちのみこと)
 アクセス 地下鉄鶴舞線「庄内緑地公園駅」から徒歩約10分
名鉄犬山線「中小田井駅」から徒歩約12分
駐車場 あり(無料)
webサイト 公式サイト 052-501-2862
その他 例祭 10月8日 七夕祭 8月7日 授与所 常駐 各種ご祈祷
オススメ度 **

 この神社が『延喜式』神名帳(927年)の山田郡坂庭神社に当たるかどうかは後回しにして、まずは星神社という名前と祀られているアメノカガセオ(天香香背男神)について考えることにしたい。

 正直、この神社はよく分からない。分からないことが多すぎる。まず、アメノカガセオがどういう神なのかがはっきりしない。
 星の神という認識であることはどうやら確かなようで、全国には星神社や星宮神社が数百あり、そこで祀られることが多い。けど、アメノカガセオと聞いて、ああ、あの星の神様ね、と答えられる人がどれくらいいるだろう。
『古事記』には出てこず、『日本書紀』の葦原中国平定の場面で登場する。
 天香香背男(アメノカガセオ)の他、天津甕星(アマツミカボシ)、星神香香背男(ホシノカガセオ)、香香背男(カガセオ)などとも呼ばれる。
 天津神が降臨するときに最後まで抵抗したのがアメノカガセオだった。従わない鬼神たちなどことごとく平らげたのに、カガセオだけは従わなかったとある。そこで力で従わせることをあきらめ、倭文神(しとりがみ)と建葉槌命(たけはづちのみこと)を派遣して説得工作をしたという。
 別のところでは、「高天原」にいる天津甕星(カガセオ)という「悪い神を誅して」から「葦原中国平定」を行った方がいいといっている。ここではカガセオは地上ではなく天界にいる悪い天津神ということになっている。
 日本では古来から、負けた側を神として祀るという風習がある。それは怨霊化して祟られると困るからだ。強力な敵であればあるほど立派な神社を建てて祀った。オオクニヌシの出雲大社(web)やタケミナカタの諏訪大社(web)がその例だ。
 では、アメノカガセオはどうかといえば、どうもそういった形跡が見られない。少なくともオオクニヌシやタケミナカタのように大々的に祀ったことをアピールしていない。最後まで抵抗した悪い鬼であるにもかかわらずだ。
 アメノカガセオをどういう神とするかは見解が分かれている。星神を信仰してヤマト王権に服従しなかった一族だとか、星の神ということで金星の化身だとか、オリオン座のこととか、北極星の象徴だとか、香々(カガ)は輝くに通じるということで、星の輝きを表しているともいう。

 話は急に飛ぶけど、新海誠監督の映画『君の名は。』はよく指摘されているように神話の世界が裏テーマになっている。
 主人公の三葉(みつは)は水の女神であるミツハノメ(罔象女神)から来ていると新海誠監督も言っているし、もうひとりの主人公の瀧(たき)はさんずいの龍だ。瀧には常に月のイメージがつきまとう。
 三葉の実家の宮水神社は倭文神と建葉槌命を祀っている。
 映画のスピンオフ小説『君の名は。Another Side:Earthbound』では作中のティアマト彗星はアメノカガセオ(天香香背男)のことではないかと指摘している。
 映画の主要テーマは彗星が三葉の町に落ちて大勢の人たちが犠牲になるのを救うというものなのだけど、三葉の実家の宮水神社で祀るのが倭文神と建葉槌命だから、彗星=アメノカガセオというのは構図としては成り立つ。
 三葉の祖母は組紐作りを孫たちに伝え、三葉が作った口噛み酒を宮水神社の御神体の龍神山に供えるというのも象徴的だ。
 カタワレ時に瀧と三葉は時空を超えて出会い、町の人々を救うことができた。

 アメノカガセオとは彗星のことではないか? という仮説を立てて考えてみる。
 カガセオが星の象徴とされながらそのイメージが一定ではないのは、それが彗星だからということであれば納得がいく。彗星は不吉な象徴とされ恐れられてきた。ときに地上に災厄をもたらす。
 彗星は力では抑え込めない。だから人々の和でもって乗り越えるしかないというのが、新海誠監督のメッセージだったのではないかと思うのだけどどうだろう。
 いずれにしても、彗星なら負けた一族のようにあとから祟ってくることはない。だから、オオクニヌシやタケミナカタなどとは扱いが違っているのではないか。

 それでは、この星神社が本当に最初からアメノカガセオを祀る神社として創建されたのかどうかという話になる。
 現在の主祭神は、大名持命(おおなもちのみこと)となっている。これはオオクニヌシ(大国主命)の別名とされる。
 オオクニヌシというのは個人名ではない。字を見て分かる通り、大きい国の主だ。または大きな名前の持ち主、つまりそういう勢力の総称とも考えられる。タケミナカタの建御名方もそうだ。そのまま読めば、建という御名の方となる。ヤマトタケルが日本の武尊であるのと同じで、後年の例でいえば薩摩隼人などがそうだ。
 いつどういう経緯で星神社にオオナムチが祀られるようになったのかは分からないのだけど、天の神に抵抗した象徴としてのカガセオと国譲りをしたオオクニヌシとが結びついたということだろうか。
 牽牛、織女というのは、星神社ということからの後付けだろう。
 星神社では古くから星祭が行われていたとされる。平安時代くらいからともいい、旧暦7月7日に、アメノカガセオと牽牛星、織女星を祭壇に祀り、祭庭に酒をまくという儀式だったようだ。
 その酒庭から坂庭に転じたというのが、この星神社を坂庭神社とするひとつの根拠となっている。

 突然だけど、ここで大江音人(おおえ の おとんど/おとひと)の子、または子孫の政盛という人物が登場する。
 大江音人(811年-877年)は、平安時代の貴族で学者だ。
 平城天皇の皇子・阿保親王の子だとか、孫だとか、親王の侍女が大枝本主と結婚して生まれた子だとか、いろいろ説はある。
 842年に起きた承和の変(伴健岑や橘逸勢たちが謀叛を企んだことが知られて流罪になった他、無実だった恒貞親王が皇太子を廃された事件)の連帯責任で尾張に流れたという話がある。
 正史には載っていないから本当かどうかは分からないのだけど、大江音人の子や子孫云々というのはここから来ていると思われる。
 政盛は京都に戻りたい一心で星神社に願掛けをして、3年後にその願いが叶って京に戻っていったという。
 承和の変から2年後に許されて音人は京に戻ったというのだけど、政盛が小田井村で暮らしていたとされるのが885年から889年の間で、音人が戻った844年はまだ子供だったことになる。子供だけここに置いていかれるとは考えにくい。音人は877年に67で京都で死去したことは分かっている。音人が25歳のときに生まれた子として、小田井にいたとされるのは50歳前後。年齢的におかしくはないとしてもやや話のつじつまが合わない。
 その子に大江五郎政輝がいて、その子も成人してから星神社に、京に上れますように願掛けをして願いが叶ったのでお礼としてあらたに社殿を建てた、というのが星神社に伝わるとされる話だ。
 急に話が分からなくなった。星の神カガセオを祀る神社と、地方に飛ばされた平安貴族の京復帰の願いが叶った話とがつながらない。政盛や政輝がいたとされる時代、ここは星の神社だったのかそうではなかったのか。

 弘安三年(1280年)に、大勢の軍勢が神社の近くまで押し寄せてきて大火事が起こって社殿や宝物、記録が全部焼けてしまったとしている。
 これもよく分からない話だ。一体、どこの軍が何のために尾張に攻めてきて神社を焼いたというのか。
 弘安といえば、弘安の役が思い浮かぶけど、それは翌年1281年に博多あたり起きたものだ。いわゆる元寇というやつで、蒙古が攻めてきたけど、こんな尾張まではやってこない。それ以外に国内でそんなに大きな戦があったのかどうか。
 それ以降、衰退してしまったものを、南北朝時代の1341年に右近中将・藤原朝臣実秋(一条実秋?)が再建したとされる。
 信長の時代までは4ヘクタールを越える社領を持っていたされるも、秀吉によって領地は取り上げられてしまった。
 それでも社殿はそのままだったようで、『尾張名所図会』には、「幣殿・廻廊・拝殿・惣門・鳥居等厳重に建てつらね壮麗たる社なり」とあり、絵図が載っている。今も場所や社殿の配置などはあまり変わっていない。
 現存する一番古い棟札として1280年のものがあるという。

 最後に、この星神社は『延喜式神名帳』にある坂庭神社かどうかという問題が残った。
『尾張国神社考』の津田正生に言わせると、「坂庭神社は山田荘印場村八神殿の社地成」となる。現在、式内・渋川神社が実は坂庭神社だというのだ。
 本当だろうか? 最初は、そんな馬鹿なと笑い飛ばしたのだけど、よくよく読んでみるとまんざらでまかせでもないのかもしれないと思い始めた。
 坂は仮字(かりもじ)で、坂庭は栄庭のこと。印場(いむば)は斎場(いみにわ)から転じたもので、栄庭(いみにわ)と斎場は同じ意味だから、要するに印場=斎場=栄庭=坂庭となるのだと。
 渋川神社(web)の縁起に、天武天皇時代の676年に大嘗祭に使う稲を納めるための斎田(さいでん)が作れたというのがある。公式サイトにそうあるのだけど、天武天皇の即位は673年なので大嘗祭(即位後初めて行う収穫祭)というのは間違いで、新嘗祭のためのものだ。
 占い(卜定/ぼくじょう)によって尾張国山田郡が選ばれ、その年の悠紀(ゆき)とされた。悠紀は斎酒とも表記し、神聖な酒を意味する。そうなるとますます酒庭と坂庭が結びつくことになる。印場もやはり斎場から来ているのだろうし、そうであれば坂庭神社がここにあったというのもあり得ない話ではないと思えてくる。
 では、式内社の渋川神社はどの神社かというと、津田正生は、中志段味の諏訪明神(諏訪社)だと言っている。そのことについては諏訪社のときに書くことにしたい。
 付け加えると、春日部郡(春部郡)の坂庭神社を式内に当てるのは大間違いだとも書いている。
『特選神名牒』では、春部郡の坂庭神社に触れて、国之常立尊(クニトコタチ)、国狭槌尊(クニサツチ)、豊斟淳尊(トヨクムヌ)を祀るとしているけど、この三柱の神を祀る例は古書にないから、違うでのはないかとしている。
 小田井村の星宮(星神社)を当てる説に言及しつつ、棟札に坂庭村とあるというだけでは根拠として弱すぎるから、この説は採らないとしている。
『尾張志』では星ノ社として「上小田井村にありて大己貴命天ノ加加背男神牽牛織女等を祀れり」と書く。
 坂庭神社の項では小田井村の星ノ宮を式内の坂庭神社とするかどうかを考察しつつ春日井郡にも坂場村があってどちらとも定めがたいので猶能考えると結論を出していない。

 個人的な感触として、星神社と坂庭神社がつながらないというのはある。星神社も坂庭神社も創建のいきさつが一切分からないから断定的に言うことはできないのだけど、願望としては星神社はカガセオを祀る神社であってほしい。
 カガセオが星の神なのか、彗星のことなのか、それ以外のものなのかは分からない。ただ、ある種の悲劇めいた匂いを感じる。夜空の星として輝き続けるのではなく、流星として流れて消えるといったイメージだ。
 あるいは、一度は去ったかに思えた彗星カガセオは、宇宙を旅するように飛び続け、何十年後、何百年後かに再びこの地にやってくるのかもしれない。
 誰がいつ何のためにカガセオを祀る神社を建てたのかという最大の謎が残った。それでも、星神社はカガセオの神社、私としてはそういう結論でよしとしたい。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

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