弁財天 奥の院(弁天が丘)

どこの奥の院なんだろう

弁財天奥の院

読み方 べんざいてん-おくのいん(弁天が丘)
所在地 名古屋市守山区弁天が丘 地図
創建年 不明
社格等 不明
祭神 弁財天(べんざいてん)
 アクセス

・名鉄瀬戸線「大森・金城学院前駅」から徒歩約5分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 名鉄瀬戸線の大森・金城学院前駅を出て金城学院大学へ向かう坂道の途中にある。女子大生はもちろん見向きもしない(一部マニアがチラ見してるかもしれない)。
 奥の院というから本社がどこかにあるはずで、それは大森八劔神社地図)の境内社として祀る弁財天のことだろうか。位置関係からして奥の院が北なのでその可能性は高いか。
 大森八劔神社は奈良時代末の793年に建てられたともされる古い神社だけど、弁財天奥の院がいつ頃建てられたものなのかは分からない。
 神社がある弁天が丘の町名は、この弁財天から来ている。昭和59年に大森の一部から成立した町で、その前は字弁天洞といっていた。
 神社の少し東には大森寺(だいしんじ/地図)がある。尾張徳川二代藩主・光友の母が大森村の出で、菩提を弔うために1661年に光友が建立した寺だ。
 このように歴史のある土地柄なので、弁財天奥の院もわりと古いものかもしれない。少なくとも明治以降ということはないだろう。
 もともとは谷間の溜め池に祀られていたというから、それはこの場所ではなかったのではないか。このあたりで溜め池というと、東北に雨池(地図)があるけど、そこではないような気がする。埋められてしまった溜め池だろうか。

 弁財天はヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが仏教に取り込まれて天部のひとつとなったものだ。本来は弁才天(辯才天)と表記する。
 日本に入ってきて神道とも習合し、才能を司る神、芸能の女神として祀られることになる。美の女神という一面を持ち、宗像三女神のうちの市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されるようになった。
 その後、才は財に通じるということで、弁財天とも表記され、七福神のひとりにもなった。
 池などの水辺や島で祀られることが多いのは、古代インドで川の女神とされたこととも無関係ではなさそうだ。水の神、農業の神ともされた。
 膝を立てて琵琶を弾いている姿で描かれることが多い。古くは8本の手に弓や刀などの武器を持っており、戦の女神という面もあった。
 女神像とは別に宇賀神(うがじん)とも集合して独自の姿になった。宇賀神は弁才天の頭の上にとぐろを巻いた蛇の姿をしており、宇賀弁才天と呼ばれた。
 弁才天信仰自体は奈良時代からすでに始まっていたようで、平安時代項、水辺で多くの弁天祠が祀られるようになった。
 竹生島の宝厳寺・竹生島神社や江ノ島の江島神社、宮島の大願寺、天川村の天河大弁財天社などがよく知られている。
 弁天様は嫉妬深いからカップルでデートに行くと別れるなんて都市伝説を聞いたことがあるという人もいるだろう。
 明治の神仏分離令で寺と神社に分かれ、神社になったところは市杵嶋姫命を祭神としたところが多い。

 大森の弁天が丘にある弁財天奥の院は名前からしても弁財天を祀るとしているようなのだけど、神社なのか寺の一種なのか微妙な感じがある。
 社の周辺には堀が掘ってあり、かつては水が入っていたようだ。島に祀るように見立てたのだろう。
 入り口には鳥居があり、社というかお堂の中には陶製らしい弁財天像が祀られている。その前には陶製の狛犬が二体いて、榊も供えられているから、やはり神社ということになるだろうか。神仏習合したままといえばそうなのか。
 弁天信仰は多様で複雑でユニークでもある。とても日本らしい神様という言い方もできそうだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

大森の弁財天奥の院

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