熱田社(春田)

白い熱田社

春田熱田社

読み方 あつた-しゃ(はるだ)
所在地 名古屋市中川区春田1-199 地図
創建年 不明
社格等 村社・十四等級
祭神

日本武尊(やまとたけるのみこと)

アクセス

・JR関西本線「春田駅」から徒歩約7分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 これまたちょっと変わり種の神社に当たった。
 拝殿が妙に白い。
 コンクリート造の社殿が白く塗られることはよくあることだけど、ここの場合は木造で白塗りになっている。その白色が発注ミスだったんじゃないくらい白いのだ。もともと神社側でこの白色を指定したのだろうか。
 本殿はというと、通常の木造なのだけど、なんというかロッジみたいな建築物で覆っている。不思議で個性的だ。
 神社の人がガンダム好きというわけではないだろうけど、ホワイト熱田社と呼ぶことにしよう。

『愛知縣神社名鑑』にはこうある。
「創建は明かではない。『尾張志』に”熱田ノ社春田村にあり”と 『尾張徇行記』には”熱田社、大明神 境内三畝二十歩除地 棟札に寛永十年(1633年)の物を初め十数枚蔵す”と記るす。明治5年、村社に列格する」

『尾張徇行記』は江戸時代後期の1822年に成立したものだ。
 江戸時代前期の1655年ごろに行われた調査をまとめた『寛文村々覚書』には「戸田荘春田村 神明 大明神」とある。
 江戸時代後期の1844年成立の『尾張志』には、「熱田ノ社 神明ノ社 春田村にあり」と書かれている。
 現在の春田には熱田社と神明社(地図)の2社がある。太神社(地図)のある春田4丁目はかつての春田村ではないと思う(戸田川沿いから遷座したらしい)。
 大明神とあるのがのちの熱田社のはずだけど、『尾張徇行記』には熱田社と大明神となっているのがよく分からない。
 ただ、熱田社のある戸田川沿いには大明神屋敷や大明神割などの地名が残っていることからしても、やはりこの熱田社がかつては大明神と呼ばれていたと考えてよさそうだ。

『尾張国地名考』で津田正生は春田村についてこう書いている。
「春田村 はるだ-むら 正字治田(はるだ)の伝声なり 富田(とだ)墾田(はりだ)同時に開拓せし地也とぞ」
 この辺り一帯は開墾した田んぼだったということだろう。
 室町時代初期の1338年に作成されたとされる円覚寺所蔵の富田荘絵図に春田里とあることから、かなり早い時期から春田という表記になっていたようだ。
 春田は現在、「はるた」と「はるだ」が混在している。駅や町名などは「はるた」となっている一方、春田小学校など一部ではいまだに「はるだ」としている。
 熱田社のある春田1丁目も「はるた」だろうけど、もともと春田村(はるだむら)にあった神社ということで、「はるだ」の熱田社としておく。

 春田地区は上ノ割、中ノ割、下ノ割の3つの地区に分かれていて、上ノ割の熱田社と下ノ割の太神社にそれぞれ「カグラ」が保管されている。中ノ割は神明社なのだろうけど、カグラは空襲で焼失してしまったとのことだ。
 熱田社では10月の例祭のときにカグラを曳き回すという。

 それにしてもこの神社はもともと熱田社だったのだろうかという素朴な疑問がわく。大明神と称していたときはどんな神を祀っていたのだろう。最初からヤマトタケルだったような気はしないのだけど。
 熱田社になったのは明治以降のことかもしれない。村の鎮守として大明神を祀っていたとすれば、神話の中の神ではなく、もっと身近なカミサマだったようにも思う。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

独特なセンスを見せる春田熱田社

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